テニス(つき)メルボルン留学顛末記(中間報告)by:K島

K島:「胆石入院・切腹手術」からはや1年、6キロ落ちた体重もほとんど戻った。それでも「腹筋は見事に割れている」って、それただの縫合のあとじゃないか!?

昨今、海外留学はめずらしいことではないが、中卒で高校からとなるとそう多くない。ましてや現地でトップクラスのテニススクールにも通う、となると「それって松岡修造のパターン?」である。ちなみに修造だってフロリダに渡ったのは高校3年だ。K島長女の場合は、テニスはメインテーマではなかったのだが、ついつい、そんな方向に行ってしまった奇特なケースといえよう。ま、しかし、それなりの収穫も失敗もあったので、例によって身内の恥さらしつつ、ご報告させていただきます。

長女にマリナと名付けたとき、外国人に覚えやすい名前のほうがよかろう、という狙いはたしかにあった。親の都合で2桁をはるかに越える海外旅行は体験した。彼女が中3になる春休み、メルボルンの友人を介して、1泊だけホームステイの体験をさせたのは、選択肢として「留学」もあることをサジェストしたつもりだった。まさか、そうなるとは思わなかったけれど… 
都立高校の入学をキャンセルし、一人メルボルンに向かったのは15歳の春。渡豪の日が近ずくにつれて親の不安はけっこう増大していった。でも、日本の高校生はとにかく嫌いだった。地下鉄のトイレで着替えてでてくる高校生、車内でケータイ使って平気な高校生、自分の学生時代のことは棚上げして「あんな学生は学生ではない」くらいに思っていた。いやいまも思っている。じゃあ、オーストラリアではどうなんだ? という話になる。よくはわからない、しかし中学時代の友人が現地・メルボルンで留学生のtake careをしており「勉強にはいいところだ」と言う。テニスも盛ん、というより施設の充実は日本と比較にならない。テニスコートはいたるところにある。杉山愛ファンの彼女にとっては、それも決断の大きな要素だったに違いない。
しかし、長女のテニスについていえば、親がテニスクラブで遊んでいたせいもあって少しはできるが、およそ競技プレーヤーとはほど遠いものであった。親の方も子供の相手などかったるいから、たいして教えた記憶はない。一度だけ中学校の新人戦を見に行ったが、ダブルフォールトで自滅していた。こちらもたいしたDNAを与えていないので、あまり威張れたものではない。それでもオーストラリアといえど高校のクラブ活動くらいならなんとかなるのでは… と思っていた。英会話の不十分さはスポーツのなかで解消していってくれればいい、とそんなふうに思っていたのだ。
当初の9ヶ月は語学学校通いである。 この間、テニスレッスンはあの全豪会場である「ナショナルテニスセンター」ここに週3回くらい通ったという。個人レッスンで1レッスンが3,500円くらい。どこぞにジュニアをまとめてレッスンしてるいわゆるテニススクールはないの? と聞くと「ない」との返事。まあ、高校のクラブ活動までのつなぎだからしょうがないか、と親は思っていた。
当初はぶつぶつ言っていたが、一人暮らしにも次第に慣れてきていよいよ高校入学。K島も渡豪し高校を見学。ユダヤ系のお嬢様学校らしい。テニスコートもあり、男子学生がいきのいいスピンボールを打っていた。ところがである。入学して2,3週間たつと国際電話があり「転校したいんだよね」と駄々をこねる。「テニスしたら、私の相手になる人一人もいないんだよ。中学新人戦1回も勝てなかった私が連戦連勝、こんなんじゃつまんない。調べたらMITSっていうこっちでナンバーワンのテニススクールがあるんだけど、ここに入るには近所にあるパブリックスクールに転校しなきゃダメなの。ゼッタイに転校するからね、もう決めたから」
ほかにも「お嬢様学校で私には向いてない」「勉強が難しすぎる」など文句たらたらであった。新しい学校はパブリックだから安いのかと思ったら、オーバーシ―スチューデントには特別価格が設定されていて授業料年間80万円。テニススクールは週5回のレッスンで年間100万円。かなりお高いです。当初、学校のテニス部に入ればいい、と思っていたのだが、日本のような部活動はないのだからしょうがない。ついでに生活費についても書いておくと、ホームステイ(食事付き)が週15,000円くらい。なんだかんだで授業料プラス生活費で年間300万円と言われていた。それにテニスが加わるとなんと400万円。いい加減にしてくれえ、とこれは送金する側の悲鳴。
つけてくわえて、ホームステイで一悶着。かの地のホームステイは、離婚した女性+子供の家が、収入の支えに留学生に部屋を貸すケースが多い。ところが、現地で世話になった寡婦はそちらのほうがお盛んなようで「セックスの声がうるさい。ジャグジーでお祭りが始まるから部屋から丸見えで、勉強が手に付かない。おまけに毎週、相手が違う」と憤怒(実は興味津々)のメール。まあ、わりとあちらはフリーセックスの国みたいですね。というわけで寮に入ってみたり、ルームメイトと一軒家をシェアしたりで引っ越し8回。おまけに犬まで飼い始めるしまつで、まあ寂しいのはわかるがやりたい放題。
やっと落ち着いてきたのは、裕子&マーク・ダットン夫妻をホストファミリーにした02年からだったろうか。学校の成績もまあまあ、苦手の理数科はいっさい手をつけず、体育学みたいなのを中心に教科を選択したらしい。(かまわない、日本の高校の理数科はジェンジェン意味ない)学校から届いた成績表には意外や意外、最上級のほめ言葉が連なっていてこればかりは信じられなかった。
テニスライフは午前中の授業が終わると、オンボロバスで近くのテニスセンターに向かうのが日常。「巧いコもいるけど、下手なコもいる」と聞いていたが実際どのようなものか、現地査察に向かったのは02年11月のことだった。
空港に迎えに来てくれたのはコーチのマイケル・バロック。チェコからの移民であるマイケルは、ジュニア時代はレンドルと一緒に練習、87年には全豪出場。ビラス、メチージュのヒッテイングパートナー、フィリポウシスのコーチも務めたという36歳。オーストラリアのデ杯チームにもスタッフとして参加、オーストラリアの「コ−チ・オブ・ザ・イヤー」にも輝いた名コーチである。K島ごとき、お迎えに来ていただけるとは光栄の限り。15分ほどのドライブの最中、マイケルから「MARINA is a good joker」なるお誉めの言葉をいただく。ほんまかいな、である。
コートでは粛々と午前中のプログラムが実施されていた。この日の練習は2対1でのドリルが中心。娘に言わせると「こっちでは2対1でのプラクテイスが多いよ」とのこと、なにしろコートの面数は多いからイヤというほど球を打てるのは事実だ。コーチ1人に生徒3人は理想的な環境といえるだろう。おもしろかったのはマイケルを筆頭にコーチ陣は奇妙なほっかむりをしている。聞けば日焼け対策とのこと。そうか、南極周辺はオゾン層破壊の危険エリアだった。それに白人の皮膚は日焼けにチョー弱いしね。
生徒たちは12〜19歳、実にさまざまな国籍が集まっている。クロアチア、セルビア、ギリシャ、イタリア、オーストリア、韓国、中国、インド、USA、とまあ万国博状態。「なぜかオージーだけがいないんだ」と唯一の日本人である娘は言う。結局コストの問題でテニスなんぞに大金をつぎ込むのは、余裕のある移民系(もちろん余裕のない移民系も多い)に限られているらしいのだ。「おかげで名前を聞けばだいたいどの地域の国出身かわかるようになった」とMITSには思わぬ副産物もあったりする。
ひととおり、打ち終わった後はマイケルの説教。K島の語学力ではとても聞きとれず、終了後、娘に「何言うとったんじゃろ?」と尋ねると「まあ、自信持って打つことが大事ってとこやね」とのこと。どこでもコーチのいうことは「手を変え、品を変え」にならざるをえないんだろうなあ、と思う。ま、たしかにここのコーチ陣は上手です。マットという若手コーチは「全米学生のランキングが5位だった」そうです。ゴルフも得意だというから一緒にやってみたら、さすがにキャリア20年のK島の軍門にくだり「今日は風が強すぎた」と天気のせいにしていましたが。
レッスン終了後は、プールでクーリングダウン。ウオーキング&スイミング。マイケルによれば「背泳ぎだと、肩の回転がサーブやスマッシュの逆なので、リラクゼーションに最適」なのだそうです。これは初めて知りましたね。たしかにそうかもしれない。それにしても娘は論外として、女子ジュニアプレーヤーの水着姿は眩しいかぎり、シャワーなんぞは男女いっしょのミックスゾーンだったりして、思わず神崎京介(「五欲の海」光文社刊:芯に響くよ)の世界を垣間見てしまうほどです。当然スクール内に「カップル」も存在し「イチャイチャやってる」とのこと。「アンタはどうなんじゃ?」と尋ねると「ロクなのがおらへん」まあ、向こうもキミのこと、そう思っているんだろうね。
これだけのレッスンをもう2年も受けてるんだから、もうちょっとウマくなっててもいいはずなんだけど、お嬢様のテニスについてはなんともコメントしづらい。最初入ったときに言われたのは「スピンとフットワーク」今でも言われているのが「フットワーク」だという。フットワークについては日本でも「ひょっとして足に根が生えてるんじゃなかろうか」と靴の底をのぞき込んだコーチがいたとか… まあ、こればかりはDNAのなせるワザでもあるので、こちらも強くは出られませんがね。
まあ、それにしても施設としては恵まれています。全天候のコート12面、ナイター施設もあり屋内コート来年には完成とか。オヤジにとって嬉しいのは打ちっ放し(ネット全くなし)50打席と9ホールのゴルフコースまでついている。ちなみに18ホール(2周する)のグリーンフィ1,000円、ここだったら「テニス&ゴルフ」マッチ、予算3,000円でできますね。
さて、話は変わりますがメルボルンの夜といえば、なんといってもカジノです。テニスプレーヤーにもカジノフリークは多くて、昔、白戸仁さんにルーレット必勝法もどきを取材させてもらった記憶があります。身近では橋爪宏幸さんという「名誉・草トー王」がブラックジャック研究家、一度ゴールドコーストに同行したとき、帯同の女性(妻ともいう)はほったらかしで4日間、カジノ(とゴルフ)ばっかりだったのを目撃しています。で、今回はK島もルールを学習しブラックジャックに挑んだわけです。これが実にテニスと似ているんだなあ。
ブラックジャックに勝ち続けるコトはありません。勝ったり負けたりを繰り返しながら、勝負は決まります。しかし場には流れというものがあり、たたみかけるときは一気にいかなければ勝てません。あと、いくらこっちが良い手札を持っていても、親に最強の札を出されればアウトです。相手のあるコンペテイションというのはテニスと同じでしょう。それにダブルス同様パートナーもいるのです。同じテーブルについている客はパートナーでもあるのです。見ているとわがままなプレーヤーが、「よせばいいのに」と思われる強引なヒットをすると、テーブル全体の流れが親に傾くのです。逆に親が苦しいときには無理なヒットをせず、謙虚にステイすると、親が無理引きしてバーストする確率が高いように思えます。これってテニスのダブルスと似ている。テニスプレーヤーにカジノ愛好家が多いのも頷けると感じた次第です。結果は3セットマッチ(3日間通って)1−2で負けました。惜しかった。酒飲みながらプレーしたのが敗因だな。
帰ってから橋爪さんに聞いたら「必勝法その1は“攻めるときは攻める、守るときは守る”必勝法その2は“目標額に達したら即止める”これですよ」と言っていた。「しかし、その割に帰ってくるのが遅かったじゃねーか?」と突っ込むと「いやあ、目標額になかなか達しなくて…」と言う。まさかテーブルにあるコインすべて集めようと思ってたんじゃないでしょうね。
ブラックジャックといえば、MITSのレッスンでも「ブラックジャック」が取り入れられている。ヘッドコーチのマイケルは機嫌がいいと、コートに目標を置いて「当てたら5ドル!」なんてことを言い出す。そうそう勝負強さは、そんなゲームで磨かれていくんですよね。で、興が乗ると「じゃ、今からブラックジャック、これからの1分間は賞金50ドル!」このときはスコットランド系のデイブが当てて大枚をせしめたそうだ。

さて、本題に戻って、長女の場合レッスンの1週間はこんなふうになっている。
練習時間は基本的に13:00から16:30までの3時間半。月曜はわりと簡単な練習で、だんだんキツくなっていく。「木曜なんて、それはそれは地獄の特訓」だとのこと。週末は試合(コーチ同行)かプライベートレッスンで「金のある親がコーチの取り合いしてたりして、それはそれは見苦しい」らしい。ご本人は、試合にはほとんど出ないし、プライベートレッスンまで予算がまわらないので、高みの見物なのでしょう。雨が降るとインドアでバスケットボールやサッカーなど。これはけっこう楽しいらしい。「ヨガやメデイテイーション(瞑想)もやったけど、私は寝てた」まあ、どこのクラスにもそんなヤツはいたものです。
ドリル終了後はフィットネスとストレッチ。「ここで質問です。ほかのみんなはストレッチやってるけど、私はストレッチ免除です。なぜでしょう?」たいして練習してないからじゃないの、と答えると「違います。MITSの生徒さんはお金持ちが多いので、ベンツやBMWでお出迎え。私は歩きで帰るのでそれがストレッチ代わり。だから免除なのでした」と暗に我が家の資金力を皮肉られたのでした。
プログラムには短期のものもあるが、受講者は少ない。1人だけ日本人のオジサン(40代)が来てジュニアと同じレッスンを希望したんだけど、結局、別メニューのプライベートレッスンを受けてた。あと、コーラは禁止。チョコレート、ジャンクフードも控えるように言われてた。当然でしょうね。ところでマイケルがキミのこと「good joker言うとったけど、なにしゃべったの?」と聞いたら「友達に自分の指をひっぱらせて、顔が真っ赤になったタイミングにあわせてオナラしただけ」だって。それって私が教えたことになってるけど、実は将棋の米長先生の持ちネタなんだよね。それにしてもオンナ捨てた芸であります。帰国した後「恋のから騒ぎ」オーデイション受験の際は使えそうなネタですが。

最後にテニス(つき)留学スポットとしてのメルボルンをどう思うか聞いてみた。

「日本と違って、コーチが権威主義じゃないのはいいと思う。友達みたいなカンジ… 練習終われば一緒にフットボールを見に行ったり、ライブに行ったり。クリスマスパーテイなんかも楽しかった。こっちはコートなんていつでも空いてるから、練習はし放題。ただ天気はちょっと… 1年中、軽井沢っていえば聞こえはいいんだけど、風強いしシャワーも多い。食べ物も肉とか中華とかは安いけど、サカナが少ないし高い。私はこの3年でちょっと飽きた」とのこと。
「03年は少しテニスを控えて勉強してみる」と、言うことはけなげだが、真実はどこにあるのやら…

旅行者から見ると、物価は安いし、治安は悪くないし、いいところに見えるけど住んでみるといろいろあるのでしょう。まあ、これは男女交際と同じであります。ご希望の方はコラムご参照の上メールで連絡とってはいかがでしょうか?

コラム

メルボルン インターナショナル テニススクール(MITS)

文中にも紹介したMITSはメルボルン空港から15分、「リバーサイド テニス&ゴルフセンター」が会場だ。ナイター施設付きコートが12面、うち2面は来年にも屋内コートとなる予定。ボスのマイケルを中心に優秀な若手コーチ陣が控えている。ネットの存在しないうちっぱなしゴルフ練習場50打席、9ホールのゴルフコースまでついている。詳しくはhttp://www.mits.net.au/japan.htmをゴラン・イワニセビッチ。

ジャパニーズ スチューデント サポート オーストラリア(JSSA)

現地で18歳以下の学生にはガーディアン(保護者代理)が必要。日本人学生の現地保護者代理(ガーディアン)として留学生活をサポートしてくれる。文中にも紹介したマーク&裕子・ダットン御夫妻が運営している。詳しくはhttp://www.melbournenet.com.au/jssa/をモリタ検索

MTSC留学センター

K島の中学時代の友人が現地で運営する。中学生、高校生のみならず、ワーキングホリデーなどでもテニスつきで一旗揚げたい方はこちらでご相談ください。http://www.mtsc.com.au/
をアーロン・クリックステイン(古い!)

A ヘッドコーチ・マイケルのお説教。だいたい30分くらい、この日は週末の試合をひかえて「自信が大切」と…
B ドリル風景。コーチは日焼け防止のほっかむり、さすがに生徒はいっこう気にする風情なし。やがてシミになるのにね。
C コート入り口にはPRのボードも。一般人も利用するので掲出しているようです。控えめですが…
D 生徒はじつに多国籍。コートサイドに保護者の姿もちらほら、子に過剰な期待をかけるのはどちらかというとアジア系かもしれない。この日もインド、韓国、中国の父兄が熱心に見守っていた。
E レッスン終了後はプールでクーリングダウン。背泳ぎがいいとは知らなかった。
F 分厚いレッスンマニュアルが、豪州No.1テニススクールの矜持か?


壮年網球隊・北京を行く

中国的庭球事情考察交誼試合企画・北京家鴨豪華晩餐付紹興酒大満足・按摩異国若娘期待欲情放出不可能・3泊4日壮年集合的飛行旅報告!

 それは1通のメ−ルから始まった。昨年、K島の勤務する出版社を定年退職したS戸さんは、中国へと渡った。なんと61歳(!!)の留学生である。そのS戸さんからこんなメ−ルが届いたのは、12月の下旬のことであった。
[K島君へ/こちらでも週1回、日本人会でテニスをしています。以前に君が『日本対中国の親善試合を北京でしましょう』と言っていたのを思い出して、僕の後見人である陳江健に相談したら、『じゃ相手を交渉しましょう』と言って探してくれています。2月の3連休を使ってどうですか? 外は寒いけど室内コ−トなので、短パンTシャツでOKです。北京ダックも羊のしゃぶしゃぶも美味です。]
 不肖K島、韓国にも香港にもグアムにもフィリピンにもタイにもマレ−シアにもインドにもインドネシアにも行っているが、なぜか中国には縁がなかった。テニスで腹を空かせておけば、北京料理も美味かろうと一も二もなく賛成! 航空券さえ払えば、現地での支払いはあごあし枕(宿泊・交通費・宿泊費)全て1人1日1万円で面倒見てくれるという。なにより、現地人である陳さんが『ツア−では行かない料理屋につれてっくれる』というのも大きな魅力だった。さっそく社内で有志を募ると、あっという間に9人の団体ができあがった。ただし、1人は観光オンリ−ということで、テニスプレ−ヤ−は8人、これにS戸さんを加えて9人が日本側の選手ということになる。どうしてもS戸さんの仲良しが中心となったので平均年齢52歳、47歳のK島が下から3番目という壮年テニスツア−ができあがった。
 この手の企画の場合、相手選びが難しい。S戸さんによれば「現地の日本人は、中国人とはあんまりテニスしようとしないんだよね。終わってから酒飲んだりもしないし…(不満そう)」ということで、こればかりは陳さんにまかせるよりない。まあ日曜だし相手はいるでしょう。年齢から考えて最後の国際試合になる人が多いだろうから、ユニフォ−ムくらい準備しましょうとおそろいのトレ−ナ−を発注、東京−北京、日中友好「庭球」と文字を入れたが、中国語でテニスは「網球」であることを現地で知った。ちなみにインタ−ネットは「電網」、現地の看板でも多く見かけた。
 で、航空券押さえるべく「電網」を機能させてみたら、3連休とあって満席。北京へは日本の大手2社と現地の会社が飛んでいるのだが、現地で有効(友好)に時間を使うには、日系の2社でないとダメ。値段もそのほうが安いし、マイレ−ジもたまる。だいたいマイナス15度の厳寒の地に、なにもこの時期を選んでいく事はないだろうと思うのだが、世の中にはいろんな人がいるから仕方ない。やっとJAL,ANAのチケットが取れてきたのは、出発を3週間後にひかえた頃であった。付け焼き刃の練習はおりからの雪にたたられてあまりできず、練習しないにも関わらずテニスエルボ−にはなるわで、テニスのほうは期待できないが、食い倒れのほうはイケるだろう。あとマッサ−ジもよさそうだ、真ん中の脚のマッサ−ジ誘われたらどうしようと思うと、胸が高鳴るK島であった。
 ANA905便は、順調に飛び北京まで4時間を切る飛行。新型機だったのでエコノミ−クラスにもミニテレビ画面が付いていた。映画の種類も豊富で、ゲ−ムも12種類できてご機嫌である。ただし将棋のカ−ソル動かすのに手間取って時間切れになったのは予定外。新装なった北京の空港はキレイで、これも五輪狙いかなあと思う。ゲ−トを出たところにS戸さんと陳さんが待ち構えていた。

2月の北京、思ったほど寒くはない 室内コ−トは、短パンでもOK!

 なにしろ「寒い、寒い」と言われていたから、重装備で行ったのだがたいしたことはない。「これならアウトドアでもできるんじゃないか」というのが体感。40分ほどでホテル着、荷物を解いた後、ウォ−ムアップをかねて(?)明日の会場である市営体育館「先農壇宣遠網球館」へと向かう。ここは総合スタジアムの付属施設なので、雰囲気的には千駄ヶ谷・国立競技場の代々木門から入るカンジと似ている。ご存じの方ならちょっと汚れた霞ヶ丘体育館を想像してもらえばよい。入口にはロビ−とレセプションがあるが、閑散としたカンジ。品揃えの少ないショップをのぞくと、やや汚れたPRINCEのポロシャツが3千円くらいもする。やはり輸入品は高くなるのだろう。S戸さんにコ−ト使用料を尋ねると「1時間で1面千5百円、こっちの人たちの月収が1万円くらいだから、ここでテニスする人たちは大金持ちなんだよ」とのこと。
 コ−トは7面あり、うち2面がクレ−コ−ト。5面あるハ−ドコ−トのうち4番コ−トをあてがわれる。サ−フェスはほとんど日本のものと変わらない。「中国だからコ−トも赤いんじゃないか」とバカな予想をしていたK島だったが、普通の緑色。一味違うのはコ−トサイドのベンチで、ソファ−椅子であるところが、ここがお金持ちの遊び場であることを示している。天井は高いので、ロブを上げても当たる心配はない。現実に、この日も翌日も1度として当たったことはなかった。
 S戸さんとテニスをするのは久しぶりである。1度だけ、K島(もちろん当時はS戸さんも)の所属する健康保険組合の試合に出て優勝したことがある。情けないくらいレベルの低い試合なのだが優勝は優勝。「S戸さんに冥土の土産をあげた」と言って周囲の顰蹙をかったK島であった。今回はそのとき決勝で当たったO野O川ペアが同行していたので、リベンジマッチを受けたが楽勝であった。なによりS戸さんが粘ってくれるから助かる。東北人(S戸さんは山形・米沢出身)らしい朴訥としたテニスだが、体も丈夫そうだし、不節制なK島は61歳のとき、きっとあれだけは粘れまい。
 空き時間に、ほかのコ−トものぞいてみたが、この日に関してはたいして上手い人はいなかった。お金持ちの割にウエアもショボい。当然ながら「ウエアは白限定、Tシャツは禁止」なんてドレスコ−ドは存在していない。コ−トに向かう廊下には球だし用のボ−ル籠がおいてあっのだが、しっかり鍵がかかっている。ボ−ルもけっして安くはないから、盗難防止ということなのだろう。
 練習は2時間ほどで切り上げ夕食に向かう。この日のメ−ンは羊肉のしゃぶしゃぶ、冬の北京の名物料理である。羊肉というと、くせのある匂いを訝る向きもあろうが、スライスされた肉は、ほどよいスライス加減のロ−ボレ−の如くまろやかであった。日式(当地では「日本スタイル」をこう表現する、韓式という表現も当然一般的)との大きな差は肉を湯にくぐらせる鍋で、2つにセパレ−トされている。一方には漢方の類の実やだしになるガラの類が入っている白湯。もう一方がくせもので、真赤に煮えたぎった血の池地獄、中国系の唐辛子がグツグツとうなっている。もちろん最初のうちは、無難そうな白湯でしゃぶしゃぶやっていたのだが、陳さんに「K島さん、こっちも美味しいあるよ」とまでいわれて断るのは男がすたる、というわけで口をつけました。キレ味鋭いその辛さ、人生47年やってますが、かつてタイ・バンコクで小皿のナンプラ−の上に浮いていたグリ−ンチリ噛ったときと比肩する熱さ、パトリック・ラフタ−のサ−ビスを股間に受けたごとき衝撃が口腔内で裂烈!得難い体験をさせていただいたのでした。

軽く手ならしのつもりが、地元強豪の登場で青息吐息に…

 さあ、2日目はいよいよ本番、北京市女子テニスチ−ムとの対決を午後にひかえています。その前に軽くウォ−ムアップと午前中は国立テニスセンタ−である「国際網球中心」へ。S戸さんとともに北京大学に通っている日本人留学生と合流してのプラクティスです。ここは、立派な観客席のついたテニススタジアムの横に併設されており、もちろん空調も完璧。当然使用料も日本円に換算して2時間6千円にもなり、現地的には「信じられない値段です(陳さん)」とのこと…
 ところがそこにすごい相手が現れた。元・北京市女子チ−ムにいたというお姉様が「よろしかったらお相手しましょう」と名乗りをあげてくれたのだ。K島一目見て「これはヤバい!」と直感。長年のカンでそのくらいはわかるのです。まず、服装がこちらの一般テニスプレ−ヤ−とは違う。短パン、ポロシャツ、ベスト、靴とも素材もデザインもキチンとしている。目が違う。太ももの筋肉が赤筋だ。
 とはいえ、ここでおめおめ引き下がるわけにもいかないので、舎弟のO川・O野組をぶつけて観戦にまわった。 練習始めました、はい球が違います。無理、無駄のないフォ−ムから伸びのあるボ−ルが飛んできます。当然、彼女達はここでインストラクタ−をしています。朝日レディ−ス・首都圏代表のワンくらいは軽くやるでしょう。アウェイで相手は格上、ヨ−ロッパの強豪に胸を借りるサッカ−日本代表みたいなもんです。もしくは童貞の高校生と手だれのコ−ルガ−ルみたいなもんです。お金さえ払えば(?)ちゃんと面倒みてくれるでしょうって、言ってる間に試合開始。さすがにインストラクタ−、ナイスショットにはちゃんとミスをしてくれたりして素人さんの扱いは手慣れたものでした。ゲ−ムカウント2−2にして期待を持たせておいてから、6−2でスパッと切り捨てる鮮やかさ。横で見ていて気になったので思わず試合終了後「全力を10としてどのくらいでやったのか?」尋ねると「4〜5くらいとのこと」我がチ−ムの2名も納得の表情で、異国に来てなかなかいいレッスンを受けさせていただきました。
 その後は2人に分かれてもらっての楽しいレッスン、K島も参加しアングルボレ−とかでウケをとりながら、初対面の留学生のなかに格好のパ−トナ−はいないかと探すと一人いたいた。北京大学に留学中の広島大学3年、佐久間英人クン、技術的には2人に及ばないが、エ−スとれるサ−ビスがあるし、ストロ−クの破壊力もなかなかだ。問題は確実性だが、1セットぽっきりなら先行すればチャンスはある。ということでK島・佐久間で挑戦。相手もその辺の意図読み取っていただいたようで、7〜8割くらいの力を出してもらえたようです。例によってK島の決定力不足を露呈し、アッという間に0−5、お情けで1ゲ−ム頂戴して6−1のゲ−ムセット、これも修行です。
 さて、ダブルスでお互い足を引っ張りあった佐久間クンは、中学高校とテニス部、高校名は聞き忘れましたが、岐阜県ではベスト4に入ったこともあるとか… その彼から聞いた北京留学事情はなかなかのもの。寮費は1日800円、学費、生活費、往復の航空券すべてひっくるめて年100万円ですむ。それって地方から東京へ出てくるのよりも、はるかに安くありませんか? 食費はほとんど外食で1日200円あればOKというのだから驚かされます。現実、デパ−トのカフェテリアで売られていた吉野家の牛丼が130円くらい。「田舎で暮らせばもっと安くすむ。学費だって地方都市のほうが北京よりは安い」と佐久間クン。テニス代も、学内のコ−トなら1時間120円だそうです。ただしコ−トにひび割れが若干あり。5面ありますがもちろん屋外なので冬場はちょっと…とのこと。
 学内のコ−トは各国から来た留学生が入り乱れ、オリンピック村状態なのかと尋ねると、「そりゃ、一番多いのは中国人、韓国と日本がその次、でも膚の黒い人で上手な人が一人いる」という。北京の草テニスにもウィリアムス姉妹がいるようだ。
 この日の昼食はギョウザ尽くし。ふっくらゆであがったギョウザの中身は皿によっていろいろ。豆腐、筍、椎茸、野菜、卵、肉、海老、ニンニク、トマト…何が入っているかは、ほおばってからのお楽しみ。燕京ビ−ルというやや軽い舌触りのビ−ルとよく合います。残したぶんは夜食用に持ち帰る、実はK島S戸さん、もう一人の幹事であるK出さんの3人は痛風持ち(痛風の発作はビ−ルでよく起こる)なのだが、この期間中はパカパカ飲んでいた。その後3人とも平気だったところをみると、北京の餃子には痛風防止効果もあったのだろう。我々はそのくらいよく食べたのだ。

デュ−スは平分(ピンプン)、15:30はなんとイ−:リャンであった!

 さて、午後はいよいよ今回の遠征のメ−ン、北京市女子チ−ムとの対決だ。昨日下見をした体育館につくと、お相手の4人がロビ−で待ち構えていた。一目、そう若くない。午前中コテンパンにやられた韓・銭組も実はけっこうVERY世代だったのだが、こちらの4人組は家庭画報世代に近い。それにな−んと1人おっさんまで交じってるじゃないですか。いやこちらもなにせ「壮年網球隊」ですからいいんですけど、カン、陳、王、フ−(カンとフ−このワ−プロでは出ません)さんの4人組にありきたりの挨拶の後、コ−トに入ります。なにしろ、中国語はニ−ハオとシェ−シェ−くらいしか出ませんから、コミュニケ−ションのとりようがないと言うわけ。じゃあスコアは何語でいうのか?このことは往路の機内でも話題に上ったこと。中国の英語教育はかなりレベル低くて、K島クラスでもホテルのコンシェルジェがつとまりそう。スラスラ英語が出てくるとはとても思えない。聞き耳を立ててみると、スコアも中国語で数えてました。それも1−2(15-30)とか3−2(40-30)とか… これは麻雀で憶えた数字の範囲内なのでOK。ジュ−スはピンフェン(平分)、アドバンテ−ジは聞き忘れてしまった。
 試合前に記念撮影は決まりごと、このシ−ンのために持参した[日中友好トレ−ナ−をプレゼント、ユニクロ製品だと逆輸入になってしまうけど、MADE IN USAだったのでよかった。中国チ−ムのウエアはかなりジミ系だったので、赤と紺ビビッドな色のスエットはかなり喜んでもらえたようです。
 午前中同様、実力差のあるカ−ドは親善試合にしていただいて、5本だけが対抗戦。午前中の2人に較べれば多少ヌルいのですが、それでも我々には多少荷の重い勝負だったようです。5試合のうち勝ったのは1試合のみ、それもK島が年長の女性に球を集めるという「国際親善」の名にふさわしくない作戦。そこまでやって、やっとのことの6−4でしたから他は推してしるべし。負け試合のなかにはダンゴつけられたのも2つほどあり、国際試合の厳しさを思い知らされたのでした。敵チ−ムのテニスについて言えば、女性3人は極めてオ−ソドックスなテニス。上級者の女性らしい堅実なストロ−クとネットプレ−でミスは少ない。唯一のオジサンは相当変則な手首打ち(?)だが、これが案外威力のある球で、とりわけスマッシュふうの風車のように回す強打(日本でもやってる人いますよね)に、何本もやられてしまっった。
 悲しいことにコミュニケ−ションができないので、なんの仕事をしているのかとか、テニス歴は何年かとか聞き逃しましたが、一般の北京市民より高レベルの生活をしている人であることは疑いのない事実です。でもラケットは1本しか持ってないようだし、さすがに木製ではなかったけど、あまり名の知れたギヤを使っている人もいませんでした。デパ−トの売り場で調べてみたら、1本3千〜5千円くらい。現地の物価からするとかなり高い道具であることは言うまでもありません。輸入品だけにしょうがないのでしょうね。
 試合終了後の晩餐はお待ちかね「北京ダック」。政府要人、国賓も姿を見せるという全聚徳拷鴨店(国立北京ダックセンタ−)へと向かう。一行15人に3羽のダックが準備され、ほとんど食べ放題状態、日本で食べるときみたいに1人2ピ−スなんてケチなことはいいません。ダックのみならず、生野菜も煮こごりも紹興酒も美味で、腹いっぱいまで詰め込んだら、こちらも北京ダックになってしまいました。

そして、癒やしのアジアンマッサ−ジ ヨダレ垂らして寝てました

 そうそう、連日のテニスは壮年の筋肉にかなりの疲労を残しました。我々の宿泊したレインボ−ホテルには、地下に新装なったマッサ−ジル−ムがあり、かわいい小妓(シャオツエ)が待っていてくれます。はたして健全なマッサ−ジなのかそれとも…
 なぜか外国でのみマッサ−ジ好きになるK島が、そのドアを叩くことはお約束みたいなものです。
「あの−、腕ね。マッサ−ジプリ−ズ…」
「腕は全身コ−ス、こっち、こっち」
 長塚京子似のマッサ−ジガ−ルに導かれてカ−テンをくぐると、マッサ−ジ台が3〜4台。うつ伏せになったときヨダレが垂れても平気なように(?)、頭(顔)がくるあたりに直径20センチほどの穴が開いている。これはかつてバリ島サヌ−ルのLGマッサジパ−ラ−で体験したパタ−ン、あの時はセクシ−行為ありそで結局なさそうという結果だったが、さて当地ではどうか?
 マッサ−ジ台に乗ると、すぐカ−テンを閉めちゃった。こうしておいて、ふしだらな行為を誘ってくる方がときどきいると噂に聞いている。ただし、服を脱げという指示はない。脱いでしまったらOKサインしちゃうようなもの。気になる京子ちゃんはというと、K島の頭からマッサ−ジに入ってきた。ほどよいアイアンクロ−が頭蓋骨の割れ目に届く。なあんだ上手じゃない、安心するような失望するような気持ち。テニス疲れで乳酸のたまった右腕はとくに入念にやってもらう。足の付け根あたりに来たときに、イタズラ心が少しもたげたが根の公式思い出して制した。あとは快感の渦の中でヨダレたらして寝てました。45分で2500円くらい。少し高いかとは思ったが、気持ち良かったので言われた通りを支払う。
 懲りずに翌日も行きました。同行はお姉様2人、すると今度出てきたのは、マッサ−ジ少年3人組ではありませんか? え−オトコかい… テキも客の顔色見てマッサ−ジャ−をあてがうのですね。しかし、カレのマッサ−ジもなかなかの快感を導き出してくれました。で、またもヨダレ出して寝てしまい、支払いしようとしたらなんとびっくり前日の半額なのでした。カ−テンと期待料(?)が100元(1250円)とはどうも… やはりアジアンマッサ−ジの奥は深いと痛感したのでした。
 ってなことで、最終日には万里の長城にも登り、屋台で買い食いも楽しみ2キロも太った北京遠征。やっぱり現地ナビゲ−タのいる旅は、安い・美味い・楽しいこと請け合いでした。次回は暖かくなったら… アブナいマッサ−ジとゴルフはその時のお楽しみにとっておいたつもりです。

コラム
中国の旅・やってはいけない

1/万里の長城の入り口には、多くの売店が店を構えている。K島はここでうっかり「帽子」とつぶやいてしまった。そんなに大きな声ではなかったと思うのだが、その瞬間7、8軒から「帽子、帽子、帽子、帽子!!!!」と声をかけられてしまった。さすがのK島も思わず引いてしまった。アジアの売り子は強引だ。帽子は結局買えず、後日デパ−トで買いました。
2/ホテルでは自転車の貸し出しがあった。一瞬迷ったがやめておいて正解。信号のない、いや信号のある交差点でも、渡るのは命がけである。「チャイニ−ズ ア− セルフィッシュ!」と在メルボルンの長女が言っていてが、まさにその通り。クルマも人も自転車も、命知らずに突っ込んでくる。地下鉄にも乗ったが、降りる客が残っていても、ガンガン乗り込んでくるにはアキれた。多少関西人に近いかも…
3/帰国の便に乗り込むのに、空港使用料90元(千円)が要る。この紙を見せてからチケット発券なのだが、通関時にもう一度提示する必要あり。そんなこともあろうかと、あるところにキチンとしまったK島だが、「あるところ」を忘れてしまった。ポケット、パスポ−トの間、ポ−チ…どこにもないない。出発の時間も迫るし、結局2度買いしたら財布の中にしまってあった。ほかに落として紛失したK出さんもいて、9人中2人も北京新空港にカンパしてしまいました。


「テニス更年期」二つの道 K島さんのお仕事・気まぐれ寄稿

年齢とテニスの複雑な関係/壮年ワールドの実地検証

K島さん:よせばいいのにサッカーの公式戦に出た。ゼーゼーしながら走っていたらレフェリーが試合を止めて「大丈夫ですか?」と聞かれてしまった。
     カメルーンの選手が試合中急死した直後だったから? というわけで「減量」に一念発起したが、さて…

私事ながら3月に「生誕50周年記者会見」をやった。女流官能作家から将棋アマ強豪、本誌編集長まで、冷やかし半分で30人くらい遊びに来てくれた。しかし人間のカラダってえのは半世紀も使ってくると相当ガタがくるものである。K島の場合、この5年で「た=胆石、つ=通風 て=テニスエルボー」で通院・入院している。6月に足がしびれるので医者に聞いたら「と=動脈硬化」というご託宣をいただいた。健康診断では「ち=中性脂肪」の多さも指摘されていて、立派な成人病「タ行5段活用」である。「と」のジャンルに「糖尿病」が入っていないだけめっけものだ。

けっこうメモ魔だったりするので、年間のテニス量なども記録してある。30歳前後は年間600セットくらいはこなしていた。土日は連日の9セットなんぞというアキれた数字すらあるくらい。そのうちゴルフを憶え、テニスエルボーを患い、腰痛は慢性になり、コートに行っても競馬見ている時間が増え、40歳では年間400セット。エルボーや胆石入院やらのあったこの2年は200セットがいいところである。当然、今まで勝てた人にコロコロやられるわけで、面白くないからやらなくなる。これを名付けて「テニス更年期」という。衰えたりとはいえプレーできればいいほうだ。ケガやらで隠居してしまう友人も多い。K島の長年のパートナーだったY田さんにいたっては「座骨神経痛」とやらで正月以来、姿をみていない。相手コートのフットフォールトを取る奇人だったが、いなくなれば、それはそれで寂しいものである。

当然、50代でも、いや60代でもピンピンしている人もいる。どこが違うのか? 体型(デブはいかんデブは)、練習量、体の鍛えかた、テニスへの忠誠心!? すべてが違うのはわかりきっているが、楽しく?確かめる方法を思いついた。老いを知らない「鉄人」と組んでダブルスに出てみればいいのだ。どうせK島が集中攻撃されるだろうが、それはそのときのこと。取材対象はすぐ決まった。上原久雄さん、50歳以上のJOPランキング21位(7月現在)。03年東京オープン単複とも準優勝。テニスを通じては20年以上のつきあい、家が向かい側なので実は幼少のみぎりから存じ上げている。対象とする試合は軽井沢国際テニストーナメント(通称軽トー)、試合の格式は上だがJOPのポイントには関係ないので「負けても気がラク」だから…

とはいえ、申し込むのはけっこう勇気のいることだった。上原さんは中学校の先生だから夏休み中で、都合はつくだろうがやっぱりなあ… ステージ違うし、テニス観も違うし。でも習性とは恐ろしいもので「締め切り」が後押ししてくれた。
「わ、笑わないで聞いてね。7月の30日ってあいてませんか? 軽トーの45歳以上があるんですけどK島と組んでもらえないかなあと思って。いや、シャレだと思って…」なんでシャレなんだか自分でもようわからんが、そう言っとったです。返事は微妙な、間があって
「えーと、翌週は毎トーだけど、じゃその練習にもなるし出ましょう」
「ただ、隣にいるのK島ですからね。古賀さん(東京オープンほか、ダブルスのパートナー)じゃないんですよ。ホントにいいんですね」
と念をおして、話はまとまった。

K島と上原さんの差は、テニスエルボーの直し方一つとっても差がある。K島の場合5年ほど前から悩まされている。基本的対策は1:痛いときはテニスを控える(しない) 2:医者で注射を打つ 3:黒青のサポーターを常用する の3つだけだ。上原さんは1:肘の周囲の筋肉強化のため、ゴムチューブを引く。2:痛みのある間は肘に負担の少ないスライスを中心に練習する。3:軽めの鉄アレイを使って負荷をかけて強化…など、明らかに前者は退嬰的であり、後者には前向きな姿勢が伺える。ゴムチューブはコート待ちの間にベンチにひっかけて引いている姿を目撃している。聞けば「腕力もつくのでサーブも早く打てるようになった」そうだ。「災い転じて福となす」なのだ。

上原さんにはほかに「壁打ちでボールを割る」という特技?もある。「その気になれば20分くらいで割れるでしょう。ボールに縦の筋が入ってきたら割れる寸前」というけれど、割れること自体がK島には信じられない。クルマのサイドブレーキのそばには握力強化グリップが置いてあり、赤信号やのろのろ運転ののときはニギニギしている。そこまでやるか…

軽トーには、いつも上原さんとダブルスを組んでいる古賀さん、7月に地元の壮年の試合でK島と組んでもらった(予選リーグで負けた=苦笑)松崎さんを誘い4人旅にした。2人きりでは息がつまる心配が少しあったので… 往路上原さんのこの春からのスケジュールと成績を聞いてみた。
「ゴールデンウイークは東京オープン、単複とも準優勝で口惜しかった。6月の関東オープンはスキップ(昨年は単複とも2回戦)。夏休みはこのあと毎トーがあって、ほかに都の教職員大会(結果は2年連続優勝であった)関西オ−プンにもエントリーする。そうしてポイントをためて最終目標は秋の全日本選手権なんだ。ほかに区民大会や草トーにも顔をだす」という。試合は特に公式戦ともなると平日の日程も多い。職場(学校)もそうそうは休めない。それでも有給休暇はすべてテニスの試合につぎこまれることになる。思わず「有給とっておいて負けちゃったらどうするの?」と尋ねたら
「だいたい、水木くらいから始まる試合が多いのだけれど、そのへんだと負けないんですよ(笑)」万年負け犬のK島、ついいらぬ心配をしてしまった。

さて、本題にはいりましょう。「軽トー・45歳上」です。軽トーはK島にとって数少ない年間恒例の出場試合。だが最近は「一般」にエントリーすると年齢的に場違いな雰囲気も感じられ、また技術、スピード、体力どれをとっても参加レベルからほど遠いように感じるので、生誕50周年を機会に「壮年」入りを決断した。もちろん平日の試合なので「有給休暇」が必要でだが、最近はパソコンから届けを出すので休みやすくなった。ってなんでだろう?

ドローを見ると、さすがに中シードの場所に名前があって、好成績の人とペアになると違うわい。2つ勝つとベスト8で第1シードが待っている。問題はそこまで行けるか、だろう。世の中夏休みで休みやすい季節とはいえ、平日にテニスの試合をしに軽井沢まで来る選手たちのレベルが初中級者であるわけがなのだ。もう一つ、今回驚いたのは135歳ミックスで、かくしゃくたる爺さん、婆さんが白いウエアに身を包み、ポイント取るたびにタッチしながら試合に興じている。K島にあの年齢までテニスをし続ける自信はない。

さて、案のじょう1回戦は大苦戦であった。2セットともK島のサービスダウンで2−4、1−2とリードされ、そこからの逆転勝ち。ハエが止まるサービスでネットダッシュするのだから当然の報いだが、雁行でストロークする自信もないのでネットに出るよりない。パートナーの上原さんは雁行から強い球を打っていく。K島はミックスダブルスの女性の仕事に徹するべきなのだが、これがまた不慣れで難しい、ついフラフラと参加したくなって困った。90分を超えるロングマッチ、なんとか振り切ってほっと胸をなで下ろした。

意外にも2回戦は快勝で初日は終了、無事ベスト8ということで翌日ははれて第1シードの吉井・吉井組に挑戦ということになった。吉井・吉井組は昭和44〜46年「軽トー・一般男子」を制している強豪、45歳以上の部昨年の優勝ペアでもある。軽トーの主みたいなもので、こちらからは一方的に存じ上げている。なにしろ壮年テニス界のビッグブランドで、お手合わせいただけるだけで僥倖… とはいえ何が起きるかわからないのもまたテニス。「明日は上原さんの足を(引っ張って)長くしてあげましょう」などと大言壮語して高原の夜は更けた。旅の友、古賀・松崎組もベスト8に残っていて楽しい酒宴であった。

翌朝、老人性早起きで散歩に出たK島は上原さんを発見した。なんとその右手にはラケットが握られている。
「ラ、ラケット…」うろたえるK島。
「うん、ちょっと素振りしながらと思って…」
心がけが違うのである。人生の中央にドデーンと「テニス」を鎮座させている人と、あっちこっちに興味が拡散する愚才では… 途中立ち寄ったコンビニで上原さんは、いつもどおり、あんぱんとバナナと買って試合に向かう。
「開始時間11時で3セットマッチ、おなか空くかなあ」と思ったが、開始時間が遅れることだってある。準備も実力のうち… とりわけ壮年になればなるほど、なのだ。

会場で草トー女王・杉山貴子さんに会う。「11時から吉井兄弟のダブルスレッスンです。生徒はK島」ほとんど肯定的に笑われた。「でも頑張ってね」でもがつくところが哀しい。しかし意外な展開が待っていた。いかに大御所といえど年齢は50歳をゆうに超えている。いや55歳も超えている。去年軽トーでキリキリ舞いさせられた勝間(ついこの間まで日本リーグプレーヤー)みたいなサービスが来るわけじゃあない。リターンに関してはそこそこに返せる。K島さえ互角に渡り合えば、隣は世代を超えた豪打の持ち主だからなんとか試合になるのだ。3オールで迎えたK島のサービス、えんえん続いたが、指示されたコースにサーブを打ち、これをキープ。気がついたら6−2で1セットを取れていた。ノーチェンジで第2セット、上原さんがサービスキープしてスコア表示板は6−2、1−0という数字になった。「強者」のなかに「色物」が混じった割にはよくやっている。

というか、スコアを見る限り一方的な流れである。「こりゃあ勝ったときのコメント考えなきゃなあ」今までそんなこと考えて何度痛い目に遭ってきたことか。せっかくゾーンに入っていたのに、雑念がミスを呼ぶ。ミスはみるみるうちに雪だるまとなる。中級者以上なら経験あると思うけれど、相手ペアの実力に差があるときは弱い方に球を集めるでしょう。それも、手の届きそうなところに… 手を出す→甘い球になる→さらにつつく→返すだけ→決めるみたいなパターン。歴戦の吉井吉井組の手にかかればいとも簡単なこと。手を出さなくていい球に手を出してK島の自滅であります。終わってみれば6−2 2−6 1−6 夢を見たのはあのコートチェンジの一瞬だけだった。最後は上原さんも苦笑しながらのプレーだったはず。こちらとしてはもうしわけない思いでいっぱいなのだが、終了後「第1シードから1セット取れたんだからいいじゃない」と慰めてもらった。できの悪い生徒が60点の答案をだしたようなものかなあ?

それにしても4人のうちで一番若いのに、スタミナなかった。デブなのも一因だが、メンタルな面でも情けなかった。もちろん、きちんとした練習の裏付けとかもないし… ま「更年期テニス」としては、ちょっと違うステージにまぎれ込んじゃったなあ、ということか。一瞬の昂揚感とかもあって、それは得難い経験だったけれど。ちなみに同行の古賀・松崎組も第2シードに惜敗し、一行は傷心の帰路についたのであった。

帰路、高速を運転しながら、上原さんといろいろ話した。
K島「テニス始めたのは何歳くらいから?」
上原「25歳かな、もうじき30年になるね。外の試合に出るようになったのは45歳からで遅いんだけど…」
K島「クラブの中の遊びのゲームでも、いろいろ研究しながら打ってるように見えますが」
上原「うん、試合で負けると足りなかった部分を強化するようにしている。負けるたびに強くなるってこと」
K島「私は負けたら忘れます。今回の軽トーは“冥土の土産”です(笑)」
上原「練習するときでも、自分にプレッシャーを与えて… これがマッチポイントなんだくらいの気持ちで打つ。そうしないと試合でも打てないよね」
K島「ところで年間、どのくらいテニスやってますか?」
上原「週末と、あと平日の夕方に少し… 合計すれば200日くらいのなるかなあ」
K島「私も100日以上は顔出すんですが、練習はほとんどなしです。自分と相手をどうやってごまかすかに腐心するだけで…」
上原「でも健康が第一ですよね。テニスを通じていろいろな仲間が広がったり…」
K島「そこだけは共通だ」

人は上原さんを「努力家」と見ていると思います。たしかにそうなんだけど「努力」することが楽しくてしょうがないように見えました。松岡修造言うところの「努力する才能」があるのでしょう。自分の体に水を、肥料を与えれば大きく育つことを知っている。ちなみに上原さんのご両親の仕事は農業でした。お二人とも朝から晩まで働きづめだった姿を少年・K島は見ています。そういうDNAってきちんと遺伝するんでしょう。上原さんのテニスが「覇道」だとすればK島のは「邪道」。歩く道、登る山は違うけれど、すれ違うときはあると思うので、今後ともよろしくお願いします。

コラム
「テニス+ゴルフ+サッカー!ジュニアキャンプも見てきた!」

軽トーと時を同じくして、3種目+α、ペンションに2泊3日のジュニアキャンプが行われているという情報を入手し、見学させてもらった。12歳までのゴールデンエイジに、しっかりした基礎工事がされない限り「名選手」は誕生しないし、仮に名選手になれなくとも、それがスポーツライフに与える栄養は滋養豊富であろうと思う。K島も子供だったら行きたかったよお。各種目、正式な指導者が楽しく(これが大切!)教えていたのが印象的だった。なかでも子供たちと対戦した、木村浩吉(マリノス)、戸塚哲也(元ヴェルディ)、大山百合子(元ベレーザ)の元プロサッカー選手3人チーム、いやあボールコントロールうまかったって、当たり前か。でも、それを見て真似してうまくなっちゃうんだよね、子供って。ゲームソフト買い与えるより、はるかに意味のある投資だと思います。運営の井上剛さん(スポーツパートナーズジャパン)は「今回は第1回、これからもっと大きくしていきたいので…」と意欲的。皆さん応援しましょう。ご興味のある方は http://www.blueskysports.jp/ まで。


私家版練馬区団体戦、会心の準優勝!

9月の区民大会の終わった直後だったか、例の山村おせっかい美奈子さんから「団体戦」に出るよう指示を受けた。あのテニスクラブに長いこといるが、「団体戦」のお呼びがかかったことはない(どうせ下手だしね)。もっとも「あんたと雨ちゃんと浜ちゃんで1チーム作ること」っていうのは「お呼び」というより「指令」みたいでした。たぶん連盟のおばちゃん達が、16チームで成立させるために各クラブにノルマを課しただけの話… 高松の場合、昨年井山・箭内・久雄・あふみ・映子・吉岡 というまあ「代表メンバー」で優勝しているのでその6人は出場不可、ゆえにK島ごときにおはちが回ってきた、とそういうわけであーる。

雨ちゃんとの相談はメール! 即、栗本クンと祐子ちゃんに連絡してくれた。「栗本クンは3連休中日なのでNGだけど、祐子ちゃんはゲット!」これで4人目が決まった。その週の午後に松崎夫妻に声をかけ6人決定。選考基準は「終わってからの反省会が楽しいこと」であった。ウエアを揃えようと提案し、雨ちゃんがプリンスカップのTシャツをくすねてくるはずだったけど忘れたみたい、ノープロブレムですが…

不肖K島、TJの原稿にも書いたけれど、なにぶんにもパーツ、とりわけ肘がボロボロで練習量減っている。皆さんにご迷惑かけないように… ましてや当日は軽井沢からの早朝帰宅、暗闇の峠越えはけっこう気を遣う運転であった。浜ちゃんピックアップして会場に着くと「監督、遅刻ですよお」と怒られてしまった。えっ、いつから私が監督だったの? もっともチーム最年長、参加者のなかでも上から5本くらいのトシなんだろうな。なにせ半世紀生きちゃったのだから。

さて、久しぶりにご尊顔&豊満なボデイを拝見した、樋口真優美さんの態度がよそよそしい。なぜかと思ったらいきなり予選リーグ第1試合で当たるのであった。当人はコートピアのマドンナくらいに意識しているみたいである。本気かオイ? さてさて、こちらのオーダーどうしましょうかね。別に完成されているペアがあるわけじゃないし抽選だな。さっそくあみだくじを作ってペア決定。こんなことしてるのウチだけでしょうね。なもんでいいんだよ、勝負は時の運… 

第1戦、コートピアA戦はミックスにK島・松崎、男ダブが松崎・雨川、女ダブが浜本・竹之内。真っ先に行われたのがミックスで、なんとここに樋口真優美がでてきた。そのときのコメント「なーーんだ、K島か」 強気になるのも道理で横には芳賀さん、K島より格上。2年くらい前、真優美の夫とくんでボロンチョにやられた記憶も新しい。結局真優美のサービスゲームを2つブレークしただけでスコ負け、先峰がこれでは勢いつかず、そのあと同時に入った男女ダブルスも苦戦。なんとか男ダブはものにしたが緒戦を失った。ちとヤバイ。

第2戦の相手は「公園サニー」、夏の雲公園を拠点に活動しているのかしら? だとすればエンガチョがナンパに行ったのもここ? そんなことはともかく、サークルといえど侮れない。現実にCブロックからは高松B、関越Bを下した「サワデイー」が決勝トーナメントにコマを進めてきたし。さすがサークル、練習量は豊富と見えて力強いタマでした。勝てると踏んだんだけど、もう一つかみ合わない試合。雨ちゃんと組んだ男子ダブルスはずーっとサービスキープで5オール。順番は向こうのサーブで順当に行けば負けだったのだけれど、ノーアドのポイント(要するにこの1本ですべてが決まるというポイント)をこちらが凌ぎきって勝利。予選突破の道がはるか彼方に見えてきました。

予選リーグ最終戦は1勝同士の光が丘B。チャーミングな歯並びの迫田オバチャンが仕切るチームです。ここでも男子ダブルス(K島:松崎)は大苦戦、決定力ないんです。迎えた5:5のラストゲーム、40:15でトリプルマッチポイント。何本かのやりとりの後、相手の力のないロブが上がった。これを松崎さんがK島に譲ってくれたから大変。「決めなくっちゃ、でもミスったら大変」と弱気にラケット振り下ろしたら、あっさりロブで切り替えされちゃった。なんとか次のポイントをドロップボレーで取りましたが。このカードは区民大会ミックスbest8の雨川・浜本がいたからこれで勝利確定。迫田オバ女ダブでの追撃は空砲と帰したのでした。

落ち着いてメシ食う暇もなく始まった決勝トーナメント、パートナー組み合わせはここでも抽選。なんともお気楽なチームです。対戦相手の光が丘Aは、当初グリグリドライバーの勝亦が男子ダブルスに出るつもりだったらしいのだが、雨チャンを苦手にしているらしくミックスへ逃げちゃった。なんか「後出しジャンケン」みたいな交代だけど、なんでもいいさ、好きなようにやりな。代わりに出てきたのは強打の青年なんだけど、アナも多かった。ただパートナーの藤原さん?はとても上手で、雨ちゃんをして「今日勝てて一番嬉しかったのは藤原さんだよ」と言わしめたほど… K島のストレートリターンも全然通じません。でもって序盤リードされたけれど、ネットイン2発で流れが変わり、青年にタマを集めて逆転勝ち。女子ダブルスも祐子クンの威力ある深い球が有効でした。K島は見習いたいなあと「あそこを」じゃなかった「指を」くわえていました(あそこしゃぶったら、背骨折れちゃう:笑)。松崎夫妻は出番なしでbest4です、凄い!

準決勝、ここまでくれば欲も出てくるというもの。この日、雨チャンの肩にはモルヒネ入りスペシャルクリームが塗られていて、回る、回る。かつての「稲妻小僧・チャチャイ・チオノイ」を彷彿とさせるジャンピングスマッシュでした。スマッシュが当たるクリームなら私も買うのですがね。試合相手は稲穂B、本命の富士見台Aを食って上がってきたチームです。先鋒でコートに入った松崎夫妻は苦戦、二人ともデユースサイドのリターンを専門としているので、難しかったかも… 1敗のあとを受けて、両ダブルスがコートイン、接戦で進行します。男子ダブルスはWTC、祐子ちゃんの先輩が相手。サークル内に無敗伝説があったくらいで、身長160センチがやっとのロートル2人では「負けるだろうな」と思っていたそうです。K島もそう思いました。現実いきなりのブレークを食らって0:2、ま、そこからチェンジオブペースで、緩いタマやらロブやら「オヤジテニス」の土俵に引きずり込みに行ったわけです。まんまと乗ってくれるのは、愛好会系のプレーヤーによくある現象。K島のゆるゆるサーブをネットに引っかけ、雨チャンのアングルボレーに足が止まり、なーーんと最後はK島のスマッシュでゲームセット。自分でいうのもなんですが、不肖K島、ある程度の大舞台でスマッシュのマッチポイントを決めたのは「初体験」、のような気がします。なにせ決まらんからのお。そうなれば勢いは女子ダブルスにも伝搬します。祐子が叩いて、浜ちゃんが飛ぶ。ジリジリとリードを広げて5:4、粘られたけれど振り切っての勝利。やった、決勝進出であります。高松「A」とは名ばかり、「トーナメントに進めないかと思ったよ」と山村オバチャンに心配されたチームが堂々の決勝進出、仮にですが、去年の優勝チーム高松Aとやったら、男ダブがミックスとミックスが女ダブといい勝負くらいの戦力ですからね。

さて決勝、いくらなんでもここは勝負にこだわりたい。当然、予選リーグで名をなさしめた真優美率いる?コートピアAがくるものだと思っていました。だとすればミックスの芳賀さんに勝つことが勝利への道。区民大会best8の雨・浜にまかせて、残り2試合のうち、どちらかで決める、と監督は決断したのであります。「日没が近いから早くコートに入ってくださーーい」と山村さん。ハイハイとそれぞれ入場すると、一度入ってきた富士見台がまたしても「後出しジャンケン」の選手入れ替えだ。どうしてそういうことやるかね、潔くないなあ、ホント。K島・松崎は例の義足の高原さんにしてやられ気がつけば1:4。速い球でガンガンやられたのならあきらめもつくのですが、逆に自滅を誘われて最悪の展開でした。それにしてもノーアドのジュースを3回落としてはいけません。重要なノーアドのポイントを買って出たのはK島で、松崎さんにはご迷惑おかけしました。でも他の2試合は頑張っていました。なかでも松崎夫人は、細身に似合わぬ気合いの入った声をコートに響かせての奮闘です。早々に敗れたK島は、段差のあるコート両方を見渡せるベンチから、試合を見守りました。どっちも競り合い… 結局ミックスが先に力及ばず敗戦。女子はレデイスジャッジのオバに見事6:5で勝ったのですが残念でした。終わってみれば去年の結果が逆になっただけなんだけれど、どのチームも僅差で「勝ちたい力」が勝負を決めるのが「団体戦」というものなんだな、と思いました。無欲なのがよかったんでしょうね。

待望の打ち上げは18:00から「うな銀」にて。田園で2年連続ファイナリストを決めたあふみさんと、昨年の優勝者映子ちゃん、その付け合わせのナベちゃんも参加。松茸、鰻、寿司をたらふく食って、準優勝の美酒に酔いました。また機会があったら、このメンバーで楽しくやりたいものです。団体戦はとても楽しい、実力以上の結果なので笑いが止まらない1日でしたよお。
K島記


突撃取材テニスプレイヤーのライフスタイル変遷史

なんでテニスジャーナルがゴルフジャーナルになったの? なんて言わないで!
「グランドスラム基金」というのをご存じでしょうか? 98年?から始まった、日本で男子テニスのサテライトトーナメントを開催するための基金活動。その一環としてのゴルフ大会が昨年に続き催された。老若男女「テニスのためなら」という篤志家が集合するというので、不肖K島も、チャリテイかたがた参加させて頂いた。
編集長「せっかく参加した以上なんかレポートしてくれるんでしょうね?」
K島「プレーヤーのライフスタイルはどう変わったか? レンドルなんかはゴルフしてリラックスしていたらしいし、そんなこと聞いてみましょう。時代によって、けっこう違うはずだから…」
ということになり、突撃取材を試みました。

当日、現役を代表して出場してくれたのは寺地貴弘プロ。「ゴルフは始めたばっかり、まだ生涯通算100ラウンドもしてませんよお」という割には上手(なんとスコアは82)。そして、よく飛ぶ。この日はK島と同組で1番スタート、しっかりドラコンの旗を立てていた。「ゴルフは楽しいけど、さすがにツアーにキャデイバッグを帯同させることはないです。海外でのひまつぶしはパソコンやゲーム、まれにみんなでカジノに行くくらいでしょうか。若い頃は、嬉しくて街にもでたけれど、今はホテルにいる時間が長くなりました。それに練習と体のメンテナンスしてると、そんなに時間もないんですよ」とのこと。なるほど、そんなものですか。

マージャンで勝負勘を養った時代も

じゃ、昔はどうだったのでしょう? ラウンドから上がってきた渡辺康二さん(63〜67デ杯代表)に伺いました。「私は住友軽金属の社員だったので、会社は日当のない出張扱い。アマチュアなので協会から支給された1000ドルと航空券を頼りに羽田発です。当時は資金の続く限り遠征してていい、なくなったら帰国せよ、というおおらかさでした。オフの時間? それは相棒によるなあ。石黒さんだと「夜は一杯行こう」ということになるし(渡辺)功だとショッピングになるのかな。英語の勉強のためにロンドンの映画館に通ったりもしたね。それでも余った時間は洗濯して寝てたよ(笑)。今のプレーヤー諸君は休みも少ないし大変だ。必然的にマジメな暮らしを強いられてしまうし… 辛かったのは麻雀でカモられたことくらいかなあ」
たしかに麻雀は流行していたようで畠中君代さん(40〜42年フェドカップ代表)も証言してくれた。「練習終わると、テニスには駆け引きも重要だから。という名目でメンバーにひきずりこまれました。当時はテニスエルボーなんてなかった(木製ラケットの時代は肘に優しかったのでは?)ので、カラダのメンテナンスはそんなに気を遣わなかったモノですよ。ジムのトレーニングもなかった。そのかわりよく走りました。とにかくよく走った。麻雀でも(一色に)走った(笑)。麻雀の相手? もちろん男性ばっかりでした(苦笑)。 そういえばウインブルドンに行ったときは沢松和子さんとトランプしてたかな」勝負事が嫌いではテニスもやっていけない、という部分はたしかにあるような気がする。

テニスへの熱き思いは永遠に

そんな麻雀ブームにかげりが見えたのは平成の声を聞いたあたりからか? 丸山準一さん(○年デ杯代表)は言う「ボクが早稲田のキャプテンだったときに“麻雀禁止令”を出したんですよ。徹夜でやって練習来たって意味ないでしょう。そのかわりゴルフはやりましたよ。アメリカ遠征のとき、父親からもらった道具持ち込んで、空き時間にコース行ったり… NECの後輩たちともよく行ったものです」そんな丸山さん、寺地クンが280ヤード飛ばしたドラコンの旗をしっかり自分の名前に書き換えていた。先輩は、やるものです。
上がってみればトップアマのスコア70台で回った人が5人も… ちなみに女子ベスグロは杉山舞さん、知る人ぞ知る愛ちゃんの妹さんでした。世間一般で上級者と認知される80台と合わせると参加者の半分近くで、実にレベルの高いコンペテイション。これをうけて渡辺康二さんが「皆さん、ゴルフに努力する情熱をぜひテニスにも」とパーティの席で一喝。一同大笑いとなりました。
選手のライフスタイルは時代とともに変わった。変わらないのは「テニスへの熱き思い」。最後に「この基金のお陰で、世界に飛び立つことができました」と謝辞を述べた寺地選手を見つめる80歳の宮城黎子さん(34〜43年全日本優勝)、その瞳には光るものが輝いていました。スポーツを通じて世代間の交流が結ばれるのは、本当にいいものだなあ、と柄にもなく思ったK島でした。


蟹瀬誠一インタビュー

首都圏の人にしか通じないネタで恐縮だが、地下鉄丸ノ内線に乗り四谷を通過すると、一瞬目下に上智大学のテニスコートが見える。その横にはグランドがあり、ラグビーやらサッカーをやっている。四半世紀を超える昔、K島はここで、週3回早朝サッカーをする愛好会に所属、主に球拾いをしていた。ま、愛好会なので蹴ることもできるのだが、球拾いしていた記憶ばかりが鮮烈なのである。だから、たぶんそうだったに違いない。球拾いしていると後ろはテニスコート、高校の同期、T野が上智大学体育会テニス部のエースとして君臨していたので、背中の目(ついてないって)でその練習を見ていた。まさか、そのコートでテニスをすることになるとは…

蟹瀬誠一氏が気鋭のイケメン・ジャーナリストとして登場したとき、アレッと思った。どこかで聞いたことのある名前、たしか大学で1学年上にいたんじゃなかろうか? 同じ授業もとっていた記憶がある。K島と同学年で蟹瀬氏と同じ新聞学科卒・作家の正本ノン氏に聞くと「なんかさ、格好つけて教室の隅のほうにいたよね」とのたまう。言われてみればK島にもかすかに記憶があった。それなら話はカンタン、さっそくメールで連絡を取りテニス&インタビューという運びになった。彼は現在文化放送系の朝ワイド「ネクスト(6:30am〜9:00am)」でキャスターをしているので、「午後イチ母校のコートでどうでしょう?」ということで話はまとまった。

1950年生まれ、蟹瀬さんの履歴はけっこう楽しい。蟹瀬という姓は、生まれ故郷石川県の限定地域だけの名前でほとんど親戚。日本中心に各地を転々とした少年時代、転校経験はその後の転職経験と似ていなくもない。やがて埼玉を本拠とし、男子ばかりの高校はイヤだと名門・浦和高校を回避し浦和西高へ。体育の教師を目指して日大文理学部に進むが「どうも違う!」と上智新聞科を受け直す。方向転換をいとわないタイプなんだ。「学生時代は喫茶室でトランプばっかりやっていた」という、K島は思想家のサポートやら、中国文化の研究やらで忙しく、スレ違った記憶がない。その後AP通信、TIME誌と記者遍歴をへて現在のフリー、キャスター職。ほかに明治大学で「文芸メデイア論」の教鞭をとるなど八面六臂の活躍ぶりである。ステップアップの達人だな。恵まれた容姿ともども、同世代としては眩しい限りである。

――テニスを始めたのは?
「社会人になってからです。女房が先にやっていて“あんな軟弱なスポーツ”と思っていたけど、やってみたらハマった。当時勤務していたAP通信は朝日新聞の中にあったんだけど、敷地内にテニスコートがあって、昼休みには練習できたんですね。汗かいたあとは朝日新聞の風呂に入ったりね。デスクワークの日はテニスウエアでラケット抱えて出勤してた。勤務形態も変則だったから、朝方ラケットを抱えて帰ってきたり、午後にテニスウエアで出勤したり… 近所の人は“蟹瀬さんちのご主人、何してるんだろう?”って思っていたはずです(笑)」
――練習はおもにどのへんで?
「近所に鷺宮テニスセンターっていうのがあって、そこへ通ってた。あとは夜中に素振り、70年代後半(80年代前半ですか=k島)、下井草の路地で、黒いHEADのラケットを電信柱に向かって、サービスふうに振り回していた不審なオトコを目撃した読者の人、いるわけないか。10年ほど前に成城テニスクラブに入って、ずいぶん練習相手が変わった」
――思い出に残っているゲームは?
「草テニスの試合にはるばる長野まで行った憶えもあるけど、なにしろ“タリバンテニス”で“一発打ちこんだら気持ちいい”だから、たいした戦績なんてないんだ。一番面白かったのは5年ほど前の“箱根の決戦”かな、相手は渡辺功さん(元デ杯代表:プロコーチ)。その前の週、お互いワイン飲んで酩酊してるときに功さんにけしかけられた。“蟹瀬クンにシングルスで1ゲーム取られたらラケットあげる、そのかわりダンゴで負けたらニュースの本番で、6:0で渡辺功に負けたとオンエアすること”だって。こっちも酔ってるし、まあなんとかなるだろうとOKした。さあ、そうなると周りの連中がタイヘン、即席の契約書作るわ、ギャラリーの手配始めるわ、とんでもないことになっちゃった」
――常識的には、プロが本気出したら素人はゲーム取るの難しいでしょう?
「そうなんだ、だけど契約時点は酒の勢いもありましたからね。こっちはサウスポーだからプロといえども多少は取りにくいだろうし。実際、サービスゲームはいいとこいったんですよ。サービスが調子よくてネット取って押しまくったら一気にフォーテイラブ、あと1本だよ。功さんのアドサイド、クロスに乾坤一擲のサービス、見事にコートから追い出したんだけどラケットの先っちょに当たったリターンがフラフラーッとストレートに抜けていった。嘘じゃなくホントに当たり損ねだったんだけどなあ。唯一のチャンスはうたかたの泡と消えました。結局ダンゴつけられて、それからがタイヘン。どうやって放送を私物化するか、その日の本番は打ち合わせ中も心ここにあらずだった」
――ニュースキャスターもいろいろタイヘンなんだ(笑)
「勝負は最後のトークの15秒。その日はちょうど職人さんのレポートがあったので“何事にもプロフェッショナルというのはたいしたもので、私も先日テニスのプロである渡辺功さんとゲームをし、物の見事6:0でやられてしまいました。全く相手になりませんでした。恐るべしプロフェッショナルということです。では本日はこの辺で”冷や汗かきながらのコメントでした」
――いやいや、完璧なリカバリーです。功さんのほかに福井烈さんとも仲がよいと伺いましたが?
「ときどき打ってくれるんだけど、打ってるうちに真綿で首を絞められるように苦しくなってくる。聞いてみると1本ごとに、ボール1つ分づつ遠いところに打ってくれてるんだって。そういうコントロールができるのって凄い!届くギリギリ、反応できるギリギリを見抜く力にも脱帽です」
――K島も全く同じ体験があります。福井さんの球だしは「芸」です。ところで配偶者(蟹瀬令子さん=自然派化粧品「ザ・ボディショップ」社長/K島と同学年?)の方とのテニスは?
「それは、彼女がテニスやっていなかったら、こっちもやってたかどうか???なんだから感謝しなくちゃいけない。しかし夫婦で組むミックスダブルスほど弱いペアはないよ。一度も勝ったことないんじゃないかな。だってさ、相手のペアの女性にぶつけることなんてできないじゃない。男性に決めに行って返されて、どちらかがミスって… みたいなことが続くと女房の機嫌が悪くなる。やがて口も聞かなくなり試合はボロ負け、テニスコートの恨みは家庭にも引きずるので、夫婦ミックスは避けるのが賢明です」
――同感。読者の皆さんも9割がた、そう考えているでしょう。
「だから女房とのテニスは相手にまわることにしました。適度に打ちやすい球を配球して“尽くすテニス”です。こっちは勝負にこだわらない体質だから(笑)」
――ところで右利きを左利きに変えたってホントの話なの?
「ホント、ホント。コンバートして10年以上。実は右肩の筋を他のスポーツで壊していて、いつかは換えなきゃって思っていたんだ。転向した当初はみんなから“まあ、無理だろう”といわれた。“馬鹿”ともいわれた”。意地ってモノもあるじゃない。だから1カ月ぐらいはテニスマシーン相手にストロークの練習をした。時間がかかったのはやはりサーブ、そしてスマッシュです。スマッシュの場合、本能的につい右向きで構えちゃうんだよ。それじゃ打てないって! 今でもステップだけは右打ちで入ってしまうときがある。右打ちのレベルに追いつくのに1年ぐらいはかかったかなあ。でも案外スムーズにいった方だと思う。左右フォアハンドにして守備範囲を広げるなんて画期的なアイデアもあって、一瞬チャレンジしたけどやめた。第一格好わるいよ」
――“利き腕変更”はエルボーになると誰しも考えるけど、なかなか実践できた人はいません。1年でモノにした運動神経はオドロキです。
「ガキの頃の成績は体育と美術だけが5!(笑)サウスポーって有利だと思う。希少性があるから、相手が面食らう率も高いし…」
――テニスファッションへのこだわりは?
「けっこう気にするほうです。ファッションもプレーの一部という感じです。といいつつ寒い日はひそかに中にタイツをはいていたりします。それに最近はゴルフウェアとテニスウェアがごっちゃになっていたりして…」
――取材にもおおく行かれたのでしょう?
「セイコースーパー、東レパンパシフィック、“誰か行く?”って声がかかると同時に手を挙げてた。行き始めた頃はボルグ全盛期で、観客席にもヘアバンドしてる奴がいたね。オリンピックはロサンジェルスに取材で行った。柔道の山下vsラシュワンとか現場で見ていた。テニスはまだオープン種目だったけど、たしかエドバーグが優勝したんじゃないかな」
――そして今、テニス界のためにも一肌脱いでもらっています
「6年ほど前、仲間と一緒に“地球環境テニスフォーラム”なるものを立ち上げてしまったので、いろいろやることになってしまった。各国大使館、官公庁、政財界、タレントまで声を掛けて“テニスを通じて環境問題を考えよう”を合い言葉にゲームに興じたり、チャリテイ・オークションをやったり。ああいうのは準備がタイヘンです。今はなき故・高円宮名誉会長から「こういうのは5年はやらないとね」と声を掛けていただいた記憶は、今も鮮烈です」

さて、いざコートに立つと179センチの眉丈夫。K島と較べて髪の毛も黒いし多いから、年齢よりは若く見える。転向サウスポーから繰り出されるサーブはスライス系なので、右利きバックハンドからは逃げていく。けっこう取りづらい球だ。長身だしオーバーヘッド系は得意とみた(スマッシュ強烈です)。ダブルスのリターンはジュースサイドを選択。サウスポーなのに???と思ったら、案の定バックハンドで角度をつけたリターンが武器だった。ほかに「フォアのストレートも得意、無謀に打ってやられることも多いけど…”と笑う。やっぱり“タリバン・テニス”の香りは残している。ロブを上げるシーンもけっこうあったので「人生観にそぐわないのでは?」と尋ねると「男らしくないということで基本的に嫌いだったけど、最近は年齢とともにうまく使うように考えている」という。人は年齢とともに進化するものである。
ゲームのほうは上智大体育会テニス部男子との対抗戦。シングルスではかなわないだろうが(やらないよ、いくつトシが違うと思ってるんだ!)ダブルスではかなりいい勝負、若者たちが手をゆるめてくれたのに乗じて、さらにi山編集長、K引カメラマンの助っ人もえて、K島を含めたロートルチームは大健闘であった。サッカーや陸上競技のように心肺機能で勝負する種目と違って、テニスはトシ取ってもある程度までごまかしが利くからいいっすね。

[取材後記]
テレビで見た印象は、落ち着いた物腰、ソツのない喋り、達者な語学力で、あの大学にいがちなヤな奴(「スマートな奴」ともいう)であった。加えてイケメン・高身長・妻美人ときては、諸条件においてほとんど対極にあるK島が、コンプレックスを抱く必要十分条件をすべて備えている。これでテニスまでキレキレだったら許さないが、レベル的にはどっこいだったので一安心。たぶんだが、KANISEは外人なんだろうな。大きな発想と積極的なライフスタイル、レデイファーストの精神を含めて。最近は「ゴルフに浮気していて…」と言っていたけれど、じゃ、今度はテニス&ゴルフの総合競技でマッチしましょう。本気で練習されると苦しい勝負になりそうだけど…


庭球狂の詩総集編

通称タコ君、伊原俊一さんのライフスタイルを紹介したいと思ったのは、そのHP「いはらのページ」を発見したことにつきる。よくぞまあ、これだけテニスに狂えるもの… 家も近いようだし、この奇人と友人になっておくとこちらも楽しそうだ、ってなわけで3カ月近く彼と遊んでこんなレポートをまとめました。

上・神出鬼没・練習つきまとい編

通勤時間帯の池袋駅、コインロッカーにラケットバッグを押し込む小柄なビジネスマンを発見する。額には大粒の汗、やや薄くなった頭髪に金縁メガネ、伊原俊一・39歳、K島はいまだかつて、彼ほどの「庭球狂」に会ったことがない。
テニスをキーワードに検索していて「いはらのページ」に突きあたった人は多いはずである。1999年開設以来15万ヒット、ほぼ毎日の「テニス日記」更新をはじめ、エルボーの治し方から、痙攣対策、草トーのドロー速報まで、いたれりつくせりのページである。なにしろ、凄いのは彼の「神出鬼没」ぶりで、1日2カ所でテニスするくらいは朝飯前。全盛期には「午前中練習、午後試合、ナイターでもう1試合なんていうトリプルヘッダーもありました」と笑う。その庭球狂に密着、彼をテニスに駆り立てるものは何か? なにゆえに彼は、ここまでテニスに熱くなれるのかを、ひまにまかせてつきまとってみることにした。
まずはHP「振り返るとテニス三昧の日々が」と記された数字を足してみた。年間プレー日数、00年206日、224回。01年231日、278回。02年198日、226回。03年155日、182回。03年はテニスエルボーに苦しんだ年ということを考えると、これビジネスマンプレーヤーとしては驚異の記録、ギネスに申請したくなるような数字である。しかも彼はいわゆる「テニスクラブ」には所属していない。ある日はナイター、ある日は朝練、週末はサークルに…、と場所を変え相手を変えしながら、コツコツと積み上げた記録なのだ。通称タコ君、または湯気隊長。ここでは愛称タコ君のほうで進行する。

教祖との愛がテニスを進化させる!

某月某日・文京区竹早コート/タムタム・ナイター ここを仕切っている田村博文さんとタコ君のペアで文京区民大会男子ダブルス連覇(田村さんは3連覇)、素人さんの多いパブリックコートのなかでは練習の濃度が抜けている。集まっているメンバーのレベルが高いのだ。ダブルス・ゲーム形式で回すのだが、ボレーヤーよりストローカーのほうが多いのにビックリ! もちろんタコ君もその一人、なにしろタイトルのおおくはシングルスで稼いだもの。グリグリのムーンボールでつなぎまくる「タコ君ワールド」に相手はハマってしまうのだろう。
お世辞にも長いとはいえない足をこまめに動かすフットワークは、見た目よりはるかに敏捷だ。そして、実によくガットが切れる。今年になって「昇天」したガット20本超! この日も1本切った。月平均3本弱を切っている。ちなみにK島はこの3年、球を打ってガットを切った憶えはない。だからなんなんだ?
タコ君は田村さんを「教祖」と呼ぶ。つなぐタイプのタコ君と、サウスポーからの強打がウリの教祖。二人のダブルスでは、こんな大笑い事件があった。昨年の区民大会、なんと某プロが初老の協会会長のパートナーとして登場してきたのだ。そして決勝で伊原・田村組と対決。二人は珍妙かつ理詰めな作戦をあみだしたのだった。某プロはサウスポーで回転のかかった球をボレーヤーの足元に沈めてくる。区民大会レベルのプレーヤーは、これに苦戦していた。「んじゃ、ボレーしなきゃいいじゃん」と二人してベースラインに並ぶ。グランドストロークだったら、球を返せるので、強打された球を初老協会長にストロークないしは中ロブで返球する。勝つには「これっきゃない」のである。
その試合の様子をタコ君はテニス日記にこう書いている。
「試合前、教祖の指令!『プロと勝負するな。会長に打たせろ。心を鬼にしないと勝てないぞ!』プロのサーブはコース、切れ、スピード、全て格が違いました。プロのサービスゲームは捨ててました(笑)。そして、もちろん会長に打たせました。申し訳ない気持ちも強かったけど勝負です。ギャラリーはすごい盛り上がりでしたね。僕らは老人を苛めるヒールのような存在でした。おかしいなぁ〜 自分のキャラはベビーフェースのはずなのに!? 
それでも6−5でリードして迎えた12ゲーム目、私のサービスです。怪しい平衡陣(ベースライン)で徹底してシコりまくりました、プロのポーチをかいくぐって、会長とアレーでラリーをしていました。全て回込んでフォアハンド、自分が一番信頼できるショットだけを選んで打ち続けました。
40-15からマッチポイントを二度外しました。当然、相手はプロのリターンをチョイス、ここ数年の試合の中で一番緊張したポイントでしたが、深さだけ意識して(コース2の次)ファーストサーブを振り切りました。プロは当然のようにフルスイングでストレートにアタックかましてきましたが、サイドラインを大きく割りました。彼も人間だった。テニスの出来は恥ずかしい限りでしたが、逃げ出したいような重圧の中で勝てたのは大きかったし、勉強になりました。教祖の気合に助けられました。ありがとう」
ちなみにK島の調査で某プロとは、渋谷隆良さんらしいことが判明。(あーあ書いちゃった)そして練習・試合が終わると教祖と信徒代表はよく飲む。コートの近所に「だるま」という、まるでどぶろくのようなチューハイを飲ませる店があり、ここがタムタムの本拠地? なにしろ勢いでテーマソングまで作ってしまう2人(作者は教祖=見たい人はhpで…)ノンケのK島には珍しく、2人の師弟関係をねたましく感じました。

早朝6時だよ全員集合! 朝練隊

某月某日・北区滝野川コート 朝練隊/文字通り「朝練」 朝6時からテニスをするのだ。それも職に就いている大の大人が8人も集まって… K島は大昔朝練のサッカー愛好会にいたので、早起きスポーツの辛さはよく知っている。眠いとカラダが動かないのだ。そしてそのあとの授業がクソ眠くなる。ここではタコ君が練習メニューを次々と繰り出す。ウオームアップでショートラリーのあと、クロスでのボレー&ストローク。8人が5:3に分かれ、ストローカーは2球ミス交替、ボレーヤーは2人相手したら交替、こうすると同じ相手とぶつからない、つまり異なった相手と練習できるわけ。なかなかくふうされているなあ。そのうち「じゃ例のヤツ行きますか」とタコ君。通称「魔王」。ストローカーはロブと突き球を交互に打ち、ネット側はこれをつないで返すという単純なドリルだが、これは効いた。なにより実戦でよく現れるシーンである。ボレスト同様5:3で行い、3分ローテーションでまわっても24分、息絶え絶えだがゼッタイ試合に役に立つなあ。ほかにペアでのスマッシュ&ボレーや、サービス&リターンをチャンピオンゲーム風にやるなど、目先が変われば疲れも忘れるというものだ。
タコ君のHP、テニス日記の記述によれば以下のごとし。
「毎度のことながら4時に目覚しが鳴ると(ラジオのタイマーをセットしてるんですが)一瞬自分の置かれた状況がわからなくて「こんな薄暗い時間になんなんだぁ〜?」って思ってから、我に返って「そうだ!朝練に行く日ぢゃないか」と気付きます(笑)メニューはいつも通りです。たかがボレスト、されどボレスト、大汗です!今日もボレーは丁寧に膝を使うのと、細かく足を動かすことを考えてシコりました(笑)ストロークはテイクバックの遅れと、バックハンドはフォロースルーが悪いのを反省。そんなこんなで今月の朝練は終了。なんとまぁ!最近はキャンセル待ちも出るくらいの盛況♪ みんな仕事大丈夫!?(笑)」
コートを取る係(実はこれがいちばんタイヘン!)の毛塚さんは言う「伊原さんがいれば、手品師みたいに練習メニューを考えてくれるので助かります。彼が休みの日は伊原さんがやりそうなことをやってるだけなんですよ」ここではタコ君、ヘッドコーチとして大活躍なのだった。この朝練隊、よくできてるなあ、と思ったのがBSSを利用した定員設定で、行きたいと思った日を書き込むことで8人の枠が埋まっていく。キャンセル待ちの人も書いておけばタコ君のように『前夜に会社の素人集指導が入ってしまい、たぶん終わってから飲むので来週キャンセルいたします。Sちゃん代わりにお願いします』なんて形で参加できるのである。ITが支える朝練隊なのでした。

ザリガニ釣りも練習の一種だァ!

某月某日・吉川市 YLTC/吉川市の強豪サークルの一つ この日は土曜日、9時タコ君をピックアップ、K島のクルマでコートに向かった。タコ君の指示で高速を下り、どんどん走るとそこは見渡す限り田畑のなかだった。えー、こんなところにテニスコートが! なにしろ駐車場は草むらです。破れかけた金網をくぐると、メンバーがお待ちかねでした。とりあえずリーダーの清水さんにお話を伺う。

――伊原さんにいつごろ初めて会いましたか?そのときの第一印象は?
雑誌の「仲間募集」に掲載、それに応募してきたうちの一人が「タコ君」でした。ダブルスでパートナーに事細かに指導を受けていました。
――そのころのテニスはどんなふうでしたか?
軟式がベースにあって回転系のボールが基本でした。今もその延長上にありますね。
――「伊原テニス」だなあ、と感心したシーンを教えてください。
夏のシングルスで熱中症で救急車にお世話になったことがありました。そこまで頑張る「精神」に「拍手」でしょうか

救急車事件は本人も痛い思い出だったらしくHPでもこんなふうに書いてある「さすがにブロック決勝の相手は粘り強く、苦戦しました。タイブレにもちこまれ最後は、グランドスマッシュを不格好に決めて振り切りました。結局、1時間10分くらいかかった試合で、最後の握手では、お互いに摺り足でネットに近づきました(笑) 終了後、木陰で休んで、仲間の試合を観戦してたのですが。両足に段々違和感が出てきて、筋肉が硬直し出しました。体内の水分バランスが崩れたようです。試合中に1リッター位はアクエリアスを飲んだのですが、相変わらずの滝のような汗には足りなかったようです。結局、仲間にお願いして、救急車を呼んでもらいました。救急車の中は涼しくて快適でした。点滴(1リッター)を打って、3時間くらい横になったら収まりました。ドクター曰く、脱水で電解質とかが不足して、血液濃度が上がった? 点滴が止まって、暇だったので(笑)袋を見たら、製造元は大塚製薬、中身はポカリと同じような成分が入っていました。やはり、アクエリアスよりポカリなのでしょうか?(笑)」
で、YLTCでのタコ君はテニスはつきあい程度、ほとんど子供の相手をしていた。「タコ、ザリガニ取りに行こう!」「タコ、一輪車押してくれよお」がってんだ、とばかりにスルメをエサにザリガニを釣り上げ、これも筋トレの一環と一輪車を押す。ただでさえ汗っかきなタコ君の額から汗が噴き出す。それにしても自然に囲まれたYLTCの環境は羨ましいばかり… 首都圏のコートとはちょっと思えない。そしてさらに、コートサイドでは驚異の光景が! ちょっと目を離したすきに、天ぷら鍋がセットされているではないか。イモが、鯵が、海老が、ピーマンが、ぞくぞくと衣を着せられて油中にほおりこまれていく。どおりで多量の発泡性飲料(ビールともいう)が準備されていたわけだ。さすがにザリガニは食材にならなかったが、なんとも楽しい野外パーテイが繰り広げられていた。タコ君いわく「ファミリー感覚が楽しいので、週末はココにお世話になることがおおいですう」とのこと。なるほどここではファミリーの一員であること(なんたって花の独身です)を楽しむタコ君なのだった。

ホームコートは地元のT―3

某月某日・練馬区/T―3 「いちばん古くからお世話になっているのはT−3です」とタコ君。ネットで知り合って合流したテニスサークル、練習は主に平日ナイター、ウイークエンドは大会も主催している。この日の練習は参加者8名、仕事帰りのタコ君はちょっと遅れて参加。そこそこの実力者が揃っているので、練習のレベルも高かった。高齢のK島はここでも青息吐息、途中休み時間を多くしてなんとか切り抜けた。タコ君はここでも師範代、えばりちらさず、低姿勢な(背も低いが)コーチングである。終了後タコ君「あの〜 練馬のGで食べ&飲み放題3000円デーがあるので、来週の練習後行こうと思いますが、予約が必要なので参加希望の人はタコまで…」そういう幹事業も実にマメにこなすのだから、愛されないわけがない。もちろん酒席でも「明るく、激しく」場を盛り上げる!
T−3を主宰する秋山成和さんとは試合に出る以外にも親密な関係だ。秋山さんの家業は酒屋さんなのだが、ガット張りの器械もおいている。タコ君はそのプレースタイルの関係から頻繁にガットが昇天する。そしてその張り替えは全て秋山さんの手にゆだねているのだ。今年になってもう21本、ロールで買って預けているとはいえ、タコ君にとっては心強いストリンガーなのである。実は後日、タコ君宅へおじゃまするのだが、このときも秋山さんと一緒だった。ほとんど同い年でテニス中毒の二人、そろって独身。羨ましいような羨ましくないような(笑)。T−3はタコ君にとって「本妻」のように見えました。じゃあ他のサークルは「愛人」かって(笑)。まあ地元だし…

このほかにも、彼が出没するサークルはいくつかある。どこに行ってもその人なつっこさと腰の低さで、愛され、重宝がられているに違いない。別掲でアンケート(下記タコ君のホームページ内「アンケート(笑)」を参照)をとってみたが、予想どおりの回答が返ってきている。なにしろ、そのプレースタイル同様、労力を惜しまないことに感心する。場所と時間によって、そのキャラクターを使い分けるタコ君、一つの壺に定住しないことが刺激になっているんだろうな。HP作り、メール送信などコミュニケーションを取ることも大好きで、そういう意味では、けして若くはないけれど「テニス新時代」の申し子なんじゃあなかろうか? 頑張れタコ君! 天まで昇れ! 

下・ダブルスで「区民大会」参戦編

年間200日、250回テニスをするビジネスマン、伊原俊一=タコ君は通称「湯気隊長」ともいう。どちらかというと敬意を払うときは後者の呼称のほうがいいと思ったK島は唐突に切り出した。
「ところで、湯気隊長! 来月の練馬区民大会、不肖K島と組んではいただけませんか? ロートルではありますが、このところ(あんたのせいで)練習量増えてます。サーブはしょぼいですが、リターンとボレーはそこそこです」
「タコ君」に取材と称してつきまとったK島は、さらに一歩つっこむべく、練馬区民大会ダブルスへの参加を提案した。そこは善人のタコ君、「例年はT3の秋山団長と組んでいますが、取材ということであればやむおえません。喜んで組ませてもらいます」
ということで、あっさり決まった区民大会への出場。参加費1500円はK島持ち(参加費は弱者が払う)ということで落着! ドロー発表を待った。

幸運のドロー? 2つ勝てば現役プロと当たれる!

すると、なんとなんと中シードがついているではないか。「わしら、そんなに強いかなあ?」仕組みはカンタン、タコ君は前年ベスト16で、K島は前年100歳ミックス準優勝でポイント所有者だったのである。それにしても100歳ミックスのポイントが一般男子ダブルス、それもAクラスに汎用できるなんて… ちょっとあ然。
3つ勝つとQFで第一シードと当たれる。けしてスキがないチームとは思えない。タコ君からも「オモシロいところに入りましたね」とメールが届いた。ネットワークを張っているから情報も早いなあ。さらに試合が近づいてあっと驚く情報が入ってきた。「2つ勝つと当たるところにいる土屋・土屋って現役プロの土屋太偉とそのお父さんらしいですよ。お父さんも昔は相当な選手だったって…」それはオモシロい。現役プロの登場となれば心躍るものがあります。ま、2つ勝たなきゃなりませんが…

区民大会も、しょっちゅう出ていると法則があることに気づく。1回戦はコ−トに入った瞬間、勝てると思った。なぜかというと相手の家族とおぼしき子連れ母子が応援についていたのである。申し訳ないけど、これって(川平ジェイ口調で)「弱いんです」 強いチームは1回戦から応援なんてつきません。それともう一つ相手の荷物が(も一度川平ジェイで)「少ないんです」何試合もやるつもりのチームはガットが切れるから、当然ラケットも多い。ちなみにタコ君は3本、めった切れないK島でも2本のラケットを持ち込んでいる。ほかにジャグやら、シャツやら靴下やら、さすがにB・ギルバートの本は持ち込まないにしても、とにかく準備を怠らないチームのほうが強いのである。しかるに1回戦のお相手はラケット1本をリュックにさした軽装、これなら勝てる! というわけで手堅いプレーに徹し6−0の完勝。ワンデーで4セットあるので、スタミナを消耗しないことも大切だと、タコ君もおっしゃっている。

2回戦ともなると、そうはいかない。練馬区の場合区民大会がABにクラス分けされているのだが、Bクラスはサークル系+フリー、Aクラスはクラブ所属+フリー という感じ。もちろんパートナーのタコ君のようにサークル系の名選手もいるが、やはり少数派。2回戦の相手もやはりクラブ所属のペアであった。ここで我がチームの弱点を分析しておく。まず二人してサービスが弱い。ビッグサーバーならぬリトルサーバーズである。地肩が弱い、といってしまえばそれまでだが、ダブルスにおいてはかなり情けない。そこでタコ君は無理にネットを取らず、セカンドではステイバックして粘ることも多い。ロブ上げも上手だから、相手のミスも誘える。問題はK島のほうで、スタミナもないからネットを取るよりない。攻撃的なポジションを取りながら相手のミスを期待する、はったりテニスとなる。スマッシュはつなぐことがテーマで、決めるのはタコ君におまかせ、なんとも無責任だなあ。

しかし、ネタにするためにも2回戦は勝たねばならぬ。でだし気合い入れまくって3度のジュースゲームを拾った。電光石火(じゃないな20分近くかかったもん)のゲームカウント4−0。そのまま押し切れるはずが、先方の票田も開きだして4−3。なんとか5−3にしたものの5−5に追いつかれ剣が峰のリターンゲーム、2人して粘ってつないでブレーク。最後はK島の「打ってくださいサービス」を気持ちよく打ってくれて(つまりバックアウトでんがな)ゲームセット! 16強入り、プロとの対決にたどりついたのだった。でもそれって本当に「タコ特訓」のおかげです。ゲームしながら「あ、これ魔王!」「ボレ&ストならおまかせ」なんてコミュニケーション(笑)しながらやってました。もう一つ区民大会の法則「似たようなレベルなら勝ちたい気持ちが強い方が勝つ」って、これ草大会に限らない話ですけどね。

怪挙!快心のリターンで、プロから1ゲームを奪う

さて、いよいよ「エイト決め」の試合です。相手の土屋太偉プロはこんな選手です。(HPより)
2歳からテニスを始め、全日本ジュニアランキング1位(D)・6位(S)。当時から数々のトーナメントで活躍し、16歳のときには留学し、拠点をヨーロッパに移しATPツアーを転戦。3年後に拠点を南米に移し、数々の世界トーナメントに出場することとなる。 03年にフェドカップ日本代表選手のコーチとしてウィンブルドン・フレンチオープンを始めとする数々のグランドスラムに参加しテニスの最先端を研究している。03年安比オープン・シングルス優勝、MASAオープン・シングルス優勝 04年石川オープン・単複準優勝 東京オープンダブルス準優勝
かつて、タコ君が文京区で戦った渋谷隆良プロは、その時点で40歳超。プロとはいえツアーからは撤退していましたが、土屋プロの場合はバリバリの現役です。パートナーのお父さんも、56歳とはいえ現役時代は坂井・神和住あたりと戦っていた実力者。いったいどうすればいいのやら… 「困ったらお父さん」という最低限の戦略は思いつくもののプロとも打ってみたいし。前の試合の疲れは抜けないし… あっという間に試合にはいる時間がやってきました。

トスに勝ったのでサービスを選択、タコ君の先発です。無理してネットを取らず深いムーンボールの入ったタイミングでネットに出るのですが、お父さんにはロブをあげられ、太偉プロには矢のようなパスを沈められあえなく撃沈0−1となりました。コートチェンジしてサーバーは太偉プロ、デユースサイドのリターンはK島です。1stは当然センターに来るだろうから、ややバックハンドの握りにして待ちました。そこそこのサーブであればライジングで取ってリターンダッシュもスキなのですが、サーブのスピードを考えると「当てるのが精一杯」でしょう。そしてうなりを上げて飛んできた1st、「こんなもんでどうじゃっ!」と球威に負けないよう左手で支えて振り抜いたら、なーーんと超スーパーリターンが返ったのです。さすがのプロも呆然、見事なリターンエースになってしまいました。「棺桶に入れていっしょに燃やして欲しい」ようなスーパーショット。このゲーム、もう1本リターンエース(といってもウオッチしたら失速してインという渋いヤツでしたが)をK島が奪い、タコ君のしこりと共鳴してなんとブレーク!さすがにプロ対色物の対決とあって、そこそこのギャラリーもついていたのでやんやの喝采! 

あとは、プロ親子のご指導を受けただけでした。タコ君いわく「現役は違いました!弾かれましたぁ! その上、お父さんも上手い(さすがに動きは遅いですが)、後で聞いたら 昔は神和住あたりと国内のプロツアー回っていたそうです。あははは… とても気さくな方々で、試合後も楽しくテニス談義させていただきました」
なにしろK島が無謀にもサービスダッシュを試みたら、構える前にボールが体の横をすり抜けていきましたから。タコ君のロブが深いところに入ったので一瞬息を抜いたら、ストレートにグランドスマッシュが飛んできて、K島の耳元をいちじんの風とともに通過していきました。本当にスピードの差を体感できました。タコ君いわく「あとでお父さんに聞いたら、ボールが来なくてファーストボレーが打ち難かったって言ってました」だって。

テニス予算は月3万円? 飲み代は含みません(笑)

まあ、練馬区のほうは、そんなわけでなんとか「オチ」がつきました。しかしタコ君にとっては、このあと文京区という「大仕事」が待っていたのです。そのへんをサワリにK島との対話をライブでお届けします。
K島・続く文京区ダブルスは教祖(前号参照/タコ君の師匠的存在)田村さんとの出場、春秋連覇のかかった試合でしたね。
タコ・ハイ、教祖のほうは4連覇、27連勝(違うパートナーでの優勝含む)で、私はそのうち3回に貢献することができました。なにしろ2人とも泥臭〜いテニスですから。 
K島・イヤほんとにその通り(笑)。見てたらタコ君なんてノーアドの勝負ポイントになると雁行で全部フォア回り込みなんだもんね。
タコ・まあ、私のサーブ威力ないですから… それより終わったあとお祝いのメールとかいっぱいもらえて嬉しかったですよ。
K島・こういっちゃ失礼かもしれないけど区民大会ごときで、こんなに祝ってもらえるのはタコ君だからこそでしょう。
タコ・おかげさまで、HPも1日100ヒット越えて200に手が届きそうです。
K島・日記、スケジュール全公開だから、手の内バレバレ。自分のをこまめに更新するだけでなく、他人のHPまで作り、日記の書き方を指導し、ついでに更新までするんだからアキれます。
タコ・そうですね。中には日記を創刊号から読んで研究して、私との対戦に臨む方もいます。だからといって嘘を書いても面白くないし、ある意味ディープなファン?ですから大切にしないといけないかも(笑)。HPの更新に関しては、もともと文章を書くのが好きだったから楽しいし、苦にならないです。
K島・本業は「営業」なんだよね。
タコ・ネクタイしめて飛び回ってます。会社にラケット出勤は気がひけるので駅のコインロッカーに預けます。雨が降ってロッカー代が無駄になるとガックリ… あと、朝練のあとシャワーが出なかった日があってこれは参った。自分の汗臭さが気になって、セールスが遠慮がちになったりして…
K島・律儀で勤勉な仕事ぶりなんでしょうね。それってテニスにも生かされてます。一度だけ麻雀もしたけれど、やたら手堅かった印象があるよ。
タコ・まわし打ちはロブ上げみたいなもので?
K島・アングルはひっかけリーチ、半チャンに2回やるとしくじる(笑)。ところで、庭球狂としては月間いくらくらいのバジェット(予算)でやっているの?
タコ・そうですね、サークル系は年会費のものもあるし、当日払いもあるけど平均1回600円くらいですから、練習は1万円くらいですね。あと試合のエントリーとかで1万円くらい。タコの場合ガットがよく切れるのでこれが月に5千円、交通費が5千円というところでしょうか? 
K島・近所のクラブに入った方が安上がりなんじゃない?
タコ・でも週末は試合がほとんどです。クラブじゃ平日の夜相手してくれる人がいません。
K島・なるほど。練習終わったあとの「飲み会」は別勘定ですよね。
タコ・それ入れたらキリがないですから(笑)…
K島・タコ君の「飲み仲間」は楽しいです。ちょっとテニス中毒者の阿片窟みたいだけど…
タコ・みんなテニスが大好きです。
K島・そのストレートさ、買います。ところでテニスを始めたきっかけは?
タコ・これでも高校時代は軟式テニス部のキャプテンだったんです。だけど大学時代はバイトとヘビメタに明け暮れ、就職したら東京を離れたりしてたもんで、テニスとはとんとごぶさた。10年くらい前に、久しぶりにやってみるかってんでスクールに通い出した。でリゾートの試合に出てみたら、4位トーナメントだったんだけど、決勝まで行って「こりゃおもしろい」ということになったんです。28歳の時でした。
K島・何事も年取ってからハマると怖いらしいね。
タコ・日曜日に埼玉〜千葉〜神奈川って、トリプルヘッダーやったときは、我ながらさすがにアキれました。
K島・大昔のアイドル歌手みたいだ(笑)。
タコ・筋肉のスタミナに問題があるのか痙攣しやすいんで、その日もボロボロでした。痙攣すると運転がタイヘンです。
K島・とりわけ右足がつると、左1本で操作することになるもんね。私も経験あるよ。
タコ・最近は前日の練習を控えめにして、水分を補給して、ずいぶん痙攣しないタコになったつもりです。首のバンダナも必需品。
K島・そうはいっても、しこりが芸風だから…
タコ・シングルスどこで勝負するかっていうと、やっぱり「長期戦」にもちこむのが一番。おかげさまでジュニアの「かませイヌ」としてお呼ばれすることも多いんです。
K島・打たれ強いサンドバッグか、実は戦略家でもあるし。シングルスの試合でコートチェンジのときに「今日は暑いけれどお互いにガンバロウ」って相手を励ましたっていうのは実話?
タコ・そんなこともあったかもしれません。たぶん練習仲間との対戦だったんですよ。しこり合いでラリーが長くて疲れて、相手も辛そうだったから言葉になってしまったのだと思います。敵を励ましてる場合ではないんですけどね…案の定、その試合は闘争心が続かずに負けてしまいました。
K島・ちょっとフツーの人間は言わないよ、そんなこと。深い人類愛すら感じます。ところで禁煙してまる1年、もう吸いたいと思わないの?
タコ・吸いたくないと言ったらウソになるけど、おかげさまでシングルスは息切れしにくくなったような気がします。ただ、食事がうまいぶん“偉腹”に“なりがちなので気をつけないと。禁煙日記をHPに作って、決意がくじけないようにしました(笑)。
K島・そうか、HPにはそういう効用もあるんだね。人前で表明しちゃえば引くに引けないと…
タコ・タバコ銭貯金もたまりましたよお
K島・で、禁煙したのに同居のお父さんお母さんは気がつかなかったんですって?
タコ・過去に禁煙が続いたためしが無かったので(最高3日とか)、失敗したときに落胆させてはいけないと思って黙っていたのです。禁煙を始めても数ヶ月は「身体に悪いからタバコやめなさいよ」って言われ続けてました。ある日「部屋が臭わないんだけど止めたの?」と問い詰められて白状しました(笑)。
K島・でも、ご両親とも温和な方で、タコ君のキャラはこのご両親だから生まれたんだと思いました。お母さんがテニスやってらしたんですよね。
タコ・子供の頃、母親がテニスしてるのを妹2人と見に行ったりしてました。
K島・で、妹さん2人は嫁にいき、長兄一人が家に残っていると…
タコ・ダメでしょうか?
K島・ある意味では親孝行の別パターンかもね。でも結婚とかの噂は?
タコ・ハハハ(笑ってごまかす)
K島・あなたの遺伝子は残すべきです。
タコ・ハハハ(ごまかし続ける)
K島・新宿2丁目になじみの店があるという証言もあるぞ!
タコ・ハハハ(やや引きつる)
K島・まさかそっちの業界の人とは思わないけれど「全ゲーオープン」っていう、草トーもあるらしいので、ご興味のある方はどうぞ。でも、ホントに(ノン気の割に)面倒見がいいよね、会社の初心者集めてテニス教室やったり…
タコ・あれ、練習になるんですよ。どんな球が帰ってくるか予測つかないし… 教えるのってホントに難しい。でも生徒が上手になってくるのが、目に見えてわかるから楽しいです。
K島・利益主義に走るコーチ・スクールにとっては耳の痛い話でしょうね。広い底辺がそのスポーツの繁栄を支えます。さいわい、パブリックのコートも増えてきました。タコ君みたいな人に学校テニス部の顧問になってほしいよね。
タコ・魔王練(突き球とつなぎスマッシュの繰り返しドリル)でしごきましょう。あとはランニングと禁煙だ(笑)。
K島・早朝、週3回くらい走ってるんだ、ケータイぶらさげて…
タコ・折り返しの公園でネコの写真撮ってまーす。
K島・マラソン出ればいいじゃない?
タコ・よく言われるけど、痙攣しやすいしテニスのために走ってるんで、そこまでは考えてないんです。
K島・あくまでテニス本位制を貫く精神、恐れ入りました。ホントに長期間の取材におつきあいいただきありがとうございました。タコ君からもらったメールだけで60本ありました。これからもよろしくお願いします。ときどき壺の様子のぞかせてください(笑)。
タコ・こちらこそ。

タコ君より/2ヶ月に渡りまして、タコなテニスライフを掲載して頂き有り難うございました。読者の皆様にはローカルネタ、お笑いネタ連発で失礼をいたしました。お堅いイメージのジャーナル(自分の中では一番硬派なテニス誌と認識しています)に載せてもらって良いのかなと悩みましたが、「こんな風にテニスに接しているオジサンもいるよ。楽しんでるよ♪」ってところを伝える事ができたなら嬉しく思います。
最後に、楽しい記事の執筆と珍道中な?取材と遊びの日々をご一緒させていただいたK島さん、寛大にもタコネタ2ヶ月連載を許してくださいました井山編集長、そして、取材先の練習、試合、飲み会(笑)、そしてアンケートにまでご協力頂きました多くの友人に感謝いたします。
テニス仲間は私の人生の宝です。これからも末永くコートで遊んでください。

K島より/その後もタコ君との「交際?」は続いている。マメに更新される「日記」を見てからK島の1日が始まる、といっても過言でない。テニスに対する「情熱」のおすそわけをもらっている気分である。実を言えば、TJの連載再開を決意したのもタコ君のことを書きたかったからだ。さすがに冬場はナイター練習はタムタムのみだが、3月にはT―3、4月からは朝練隊も復活と聞く。また仲間にまぜてもらって老骨に鞭打つつもりです。よろしくお願いします。

タコ君のホームページ http://homepage3.nifty.com/iharasan/